国立国会図書館運営レファレンス協同データベースで江戸東京博物館図書室が提供した事例が検索できます。
(※「レファレンス」とは利用者が学習・研究・調査等で図書室に情報を求めた場合に、図書室の機能を活用して、参考となる資料をご案内するサービスです。)
2015/06/08
歌舞伎においては、「病気である」という演出表現として、「病鉢巻」(備考※1)というこしらえがありますが、これは「紫縮緬の鉢巻きを頭の左で結ぶのが約束」(【資料1】『歌舞伎ファッション』)です。(ただし團十郎型の『寺子屋』の松王丸は「箱結び」にする。) 紫の鉢巻をする扮装では「助六」(備考※2)が有名...
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2015/06/08
平面図だとわかりませんが、1889年(明治22)刊『徳川盛世録』(市岡正一著。平凡社の東洋文庫より1989年復刻。請求記号2105/131/90)の「将軍宣下殿上規式の図」をみると、確かに段差があったことがうかがえます。図説江戸1『江戸城と将軍の暮らし』(平井聖監修。学習研究社より2000年刊。請求記号2105/1089/1)の...
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2015/06/08
2月14日は、『日本キリスト教歴史大事典』(教文館,1988年,1903/1/88)『大衆文化事典』(弘文堂,1991年,3615/1/91)によれば、イタリア人司教ヴァレンティヌス(Valentinus)がローマ皇帝の発した遠征兵士の結婚禁止令に反対したことで、269年頃に処刑された殉教記念日ということです。中世ヨーロッパでは愛の守護聖人と...
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2015/06/08
明治4年(1871)8月、政府は「散髪脱刀令」を布告して断髪を許し、これを奨励しました。有名な「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という詞は、同年5月『新聞雑誌』第2号に掲載されて流行したものです。すすんで断髪し、いわゆる“ザンギリ頭”にする者が増える一方、髷に執着する者も多くありました。明...
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2015/06/08
犬の形をした張り子細工の玩具を犬張子と言います。子どもの祝い事に犬張子を贈った理由としては、犬が「正直で魔を除き、主恩を忘れず、お産が軽くて生育がよい」(【資料1】『日本郷土玩具事典』)とされたためです。元来「災厄を負わせるものとして、貴族が身辺に置いたり、小児の枕頭に置いたりしたもの」(【資...
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2015/06/08
江戸城の城門は、三十六見附(実際には三十六以上在った)などと言ってたくさん在ったことが知られていますが、『図説江戸2 大名と旗本の暮らし』(平井聖監修・学習研究社・2105/1089/2)によれば、”大名が登城するのは大手門、内桜田門(現在の桔梗門)の二か所と決められていた”とあります。 『図解・江戸城をよ...
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2015/06/08
皇居内にある江戸城本丸跡や天守台。江戸時代はどのような姿だったのでしょうか。外観を知る代表的なものとしては、明暦3年(1657)の明暦の大火前の寛永期の江戸を描いた「江戸図屏風」と「江戸名所図屏風」が挙げられるでしょう。『江戸図屏風』(鈴木進,1971,平凡社,7210/L81/71)『江戸図屏風を読む』(水藤真・...
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2015/06/08
引札は、江戸から明治・大正期に商店などが開店・売出しの披露や商品広告のために配ったちらしのことで、その配布方法には、特定のお得意に限る、町内各戸へ、通行人に配るなど、商売の業種や店の規模によってさまざまな形態がありました。 『引札繪ビラ風俗史』(増田太次郎著,青蛙房1981)には、「街頭配布」「戸別...
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2015/06/08
【資料1】『東海道五十三次ハンドブック』【資料2】『今昔東海道独案内』では「午前四時頃」と説明されています。 ただし、江戸時代は現代とは時刻制度が大きく異なります。江戸時代の時刻制度では「日の出と日の入りを境に昼夜を区別し、それぞれを六等分」(【資料3】『江戸時代館』)しました。これを不定時...
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2015/06/08
享保18年(1733)5月28日(旧暦)、両国の川開きのときに鍵屋(かぎや)によってはじめられたといいます。『花火/下町/隅田川』(隅田川花火大会実行委員会・1983年・請求記号C3624/5759/1)所収の年表には「一晩に上げた花火の数は、仕掛、打上あわせて20発内外といわれる」とあり、本...
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2015/06/08
『立川の歴史と風土 第3集 立川の水車をさぐる』(立川市教育委員会,1999年,C3669/2136/19-3)によりますと、水車は昭和17年(1942)には日本全国で7万8000台もあったそうです。現在では稼働している水車を目にすることは殆どなくなりましたが、水車研究の本はいくつか出版されています。 江戸時代の水車の規模や情況...
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2015/06/08
江戸時代、一般の洗濯の汚れ落としには、無患子(むくろじ)の皮、さいかちの実、灰汁、石灰、米のとぎ汁などがよく使われました。しゃぼん(石鹸)は安土桃山時代に南蛮(ポルトガル)より伝わったとされていますが、しゃぼんを使用できたのは極めて限られた人々だけで、主として医薬用に用いられました。石鹸が家庭...
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2015/06/08
都内にある歴史上の人物の銅像については【資料1】『東京江戸案内 巻の4 相撲と銅像編』で調べることができますが、これには家康の銅像が載っていません。この本が書かれた時には都内に家康の銅像は無かったと思われます。社団法人江戸消防記念会(備考※1)から当館に徳川家康像(備考※2)が寄贈されたのは199...
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2015/06/08
日本では、明治6(1873)年に、それまで使っていた天保暦に変わって、太陽暦(グレゴリオ暦)を採用しました。明治5年の12月3日が、明治6年の1月1日に変わったのです。改暦以後、太陽暦は新暦、天保暦は旧暦と呼ばれるようになりました。 天保暦以前の暦では、宣明暦、貞享暦、宝暦暦、寛政暦があり、天保...
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2015/06/08
江戸時代にどのような食べものが渡来したのかを知るために、まず『完本食からみた日本史』(芽ばえ社)の“江戸時代の概観”や、『たべもの日本史総覧』(新人物往来社)の“日本たべもの年表”で調べてみます。 カステラ・ボーロ・金平糖・パンなど菓子類、カボチャ・トウモロコシ・トウガラシ・サツマイモなど野菜(蔬菜...
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2015/06/08
辞典としては『江戸語大辞典』(前田勇編,講談社,8135/3/74)『江戸語辞典』(大久保忠国・木下和子編,東京堂出版,8183/7/91)などがあります。『東京弁辞典』(秋永一枝編,東京堂出版)も大変参考になることでしょう。また、用例、出典にエピソードなどがふんだんに盛り込まれ、読み物としても楽しめるものに『...
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2015/06/08
初夢をいつ見る夢とするかは一様ではありません。室町以降、京阪地方では節分から立春の明け方の夢をいったのに対し、江戸では古くは大晦日の夢を指したようです。一方、年越しの夜は寝ない習慣があることから、天明頃より元日から2日の朝の夢となり、その後、2日の夜に見る夢を初夢とするのが一般的になってきたと...
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2015/06/08
助六は「歌舞伎十八番」の中で、その名がひろく知られています。それにちなんで、助六ずしは歌舞伎鑑賞のときに出された(売られた)からこの名があるのかというと、そうではなく、助六と恋仲の花魁に揚巻(アゲマキ)があり、ここからアゲずし(稲荷ずし)とマキずしのセットを助六ずしと呼ぶようになったのだといい...
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2015/06/08
明治から昭和の物価については【資料1】~【資料8】で調べることができます。また昭和については【資料9】『昭和二万日の全記録 全19巻』の欄外にも記載があります。 ただしご質問の昭和20年頃は社会的にも不安定であり、インフレによって某大手企業社員月給(旧制中卒・在職22年手取り) の場合、366円18銭が翌月802...
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2015/06/08
小学生を主な対象とした貯金には、明治30年代に始まった「切手貯金」がありました。学校貯金、学童貯金という名称でも広まり、郵便貯金を奨励した小学校もあったようです。 戦後の「こども郵便局」については、『郵便貯金のあゆみ』(山口修著,郵便貯金振興会,3387/3/77)によると、昭和23年1月、大阪市の南大江小学...
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