2015/06/08
江戸城の城門は、三十六見附(実際には三十六以上在った)などと言ってたくさん在ったことが知られていますが、『図説江戸2 大名と旗本の暮らし』(平井聖監修・学習研究社・2105/1089/2)によれば、”大名が登城するのは大手門、内桜田門(現在の桔梗門)の二か所と決められていた”とあります。 『図解・江戸城をよむ』(深井雅海著・原書房・2105/887/97)によれば、大名の多くは”大手門の門前の橋の手前、下馬所において駕籠や馬から下りた”といい、さらに奥の下乗所~玄関と続き、”日光門主・御三家などのほかはこの場所(下乗所)で駕籠から下りる定めであった”とあります(あとは徒歩)。 供の者ですが、一〇万石以上の大名でも、下馬所より下乗所まで「侍六人、草履取一人、挟箱持二人、駕籠かき四人」、下乗所より玄関まで「侍三人、草履取一人、挟箱持一人」しか連れることができなかったそうです(元禄十二年閏九月)。
(参考資料)
『図説江戸2 大名と旗本の暮らし』(平井聖監修 学習研究社 2000年 2105/1089/2)
『図解・江戸城をよむ』(深井雅海著 原書房 1997年 2105/887/97)
『図説 江戸城 その歴史としくみ』(平井聖監修 学習研究社 2008年 2105/1426/0008) (p.8 大名登城のルール)
(備考)
宮内庁HP http://www.kunaicho.go.jp/ 東御苑に江戸城の史跡 (2014/6/13確認)
江戸東京博物館所蔵「 江戸城年始登城風景図屏風」(TOKYO DIGITAL MUSEUM) http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0190203530&w=%93%6F%8F%E9 (2014/11/26確認)
(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000024880