国立国会図書館運営レファレンス協同データベースで江戸東京博物館図書室が提供した事例が検索できます。
(※「レファレンス」とは利用者が学習・研究・調査等で図書室に情報を求めた場合に、図書室の機能を活用して、参考となる資料をご案内するサービスです。)
2023/09/08
東京府から東京市へと名称変更されたのではなく、それぞれ別の目的で設置された行政区画となります。東京府は、旧江戸市街地及びその近郊を管轄していた江戸府の業務を引き継いで、明治元年(1868)7月17日にはじめて設置されました。東京市は、東京府下の市街地を管理するため、明治22年(1889)5月1日に東京府の管轄...
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2023/02/13
(回答)【資料1】『学習院大学史料館ミュージアム・レター』第33号に1947(昭和22)年11月14日撮影の航空写真と1947~1951(昭和22~26)年頃の周辺図を見ることが出来、これによると同時期周辺に皇太子仮寓所だけではなく、学習院中等科校舎や学生寮もあることが分かります。現在、小金井公園にある江戸東京たてもの園...
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2022/03/22
『原色浮世絵大百科事典』(【資料1】)、『サライの江戸 CGで甦る江戸庶民の暮らし』(【資料2】)に歌川広重画『東都名所 高輪二十六夜待遊興之図』(備考※1参照)に描かれている出店について解説があります。具体的には「果物売」「すし屋」「水売」「焼いか売」「天麩羅屋」「蕎麦屋」「麦湯売」「団子売」「ほおず...
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2022/03/22
『徳川制度』(【資料1】)と『吉原 江戸の遊廓の実態』(【資料2】)によると、「廓内に失火があると、廓内の消防夫が消防に従事し、御府内四十八組の火消も直ちに繰出すが、かれらは大門内に入らず、土堤に陣取って鎮火を待った」。さらには「先着の火消五組ほどは五十間道の茶屋の上に纏を横に寝かしておくので、六番...
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2021/12/09
『江戸の火事と火消』【資料1】によると、そもそも江戸における消防組織は大きく「幕府直轄の定火消、大名火消、それに江戸の町火消」の三系統があり、これらは「指揮系統が異なって」おり、また「出火にあたって各系統の火消の分担は定められて」いたとあります。 そのうち町火消は、同書によると、「明暦大火後」にで...
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2021/12/09
『近世質屋史稿』【資料1】には、「江戸では「下タ質」、関東農村部や京都では「送り質」、大坂方面では「又質」など」と呼ばれ「すくなくとも江戸時代中期(1720年ごろ)にはかなり普及していたと思われる」と書かれており、質屋が質物をさらに他の質屋に質入れする下質は、一般的に行われていたことがわかります。 質屋...
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2021/03/02
(1)いつから左乗りになったか 『うまはくブックレット №7 横浜ウマ物語 文明開化の蹄音』(【資料1】)に、幕末に西洋文化が入ってくるまで、日本人は右側から馬に乗っていた、とあります。 『間違いだらけの時代劇 河出文庫』(【資料2】)には、現代は馬の左側からが常識であるが、昔の作法はまったく逆。馬の右側か...
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2020/11/11
(回答) (1)デザインの由来。 『大(Oh!)水木しげる展』 ( 朝日新聞社 平成16年4月 請求記号:M3624/TO-3/270 p.163)によると、都民の日のバッジは昭和30年~平成9年(1955~1997)に東京都によって制作されました。漫画家・清水崑によるカッパのデザインになったのは昭和34年(1959)からで、採用された理由は「清水...
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2020/03/16
『書物學 第9巻 江戸の欲望/江戸という欲望』(【資料1】)によると、18世紀後半に著された『猿猴庵随観図会』や『星解』にオーロラの図版が描かれており、江戸時代にも日本でオーロラが観測されたことがあるとしています。 古典籍にはオーロラは「赤気」などの語で書かれていることが多いようですが、単に赤気と記さ...
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2020/03/16
『江戸の町 上 巨大都市の誕生 日本人はどのように建造物をつくってきたか 4』(【資料1】)によると、「江戸城の建築工事に使う木材は、利根川上流の関東北部山岳地帯や、富士川上流(静岡県)、木曽川上流(長野県)から」運び出したとされています。 また、『森林の江戸学 徳川の歴史再発見』(【資料2】)には、関ヶ原の...
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2020/02/20
《回答》 【資料1】『浮世絵にみる歯科風俗史』では、浮世絵の中で楊枝を使用したり、歯磨きをしたりする様子がまとまって紹介されている。 p.65-94 房楊枝(「風俗美人時計 巳ノ刻」喜多川歌麿・画 ほか全26点) p.95-122 妻楊枝(「江戸名所百人美女 王子稲荷」歌川国貞・画 ほか全24点) p.123-130 楊枝屋(「風流江戸...
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2019/07/19
(回答) 消火方法としていつからあったかは不明だが「バケツリレー」という言葉は和製英語。『東京新聞』昭和12年(1937)6月16日(夕刊)、『朝日新聞』昭和12年(1937)6月16日(東京/夕刊)によると品川区芳水小学校の防空演習を伝える記事に「バケツ・リレーの消火作業」とあるので、少なくとも昭和12年(1937)頃には...
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2019/07/19
(回答) 『模型でみる江戸・東京の世界』(【資料1】)に平面図有り。復元にあたっては「伊予殿屋敷指図」(岡山大学池田文庫所蔵)、「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館所蔵)、「甲良向念覚書」(東京都立中央図書館所蔵)などを利用した。 『東京人』(no.323)(【資料2】)によると、正面となる東側が京間96間(約1...
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2019/07/19
(回答) 『復元鹿鳴館・ニコライ堂・第一国立銀行 江戸東京博物館常設展示東京ゾーン「文明開化東京」』(【資料1】)によると、明治16年(1883)11月29日に開館。明治23年(1890)には宮内省に移管され、一部が華族会館となった。明治27年(1894)6月の地震での被災が契機となり華族会館に払い下げられて昭和2年(1927...
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2019/07/19
(回答) 「かねやす」は地名と店名として知られる。地名としては本郷三丁目の兼康横町。『御府内備考』によると、兼康祐悦という口中医師(歯医者)が住んでいたことに由来する。店名としての兼康はこの地に祐悦が開いた店。享保年間(1716年頃)から乳香散という歯磨粉を売り始め、大いに流行、繁盛したという。質問に...
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2019/07/19
(回答) 『日本人の坐り方に就て』(【資料1】)によれば、諸説あるが明確にはわからない。数々の史料から古くから形があった事は推察できるが、絵巻物等をみる限り人物のほとんどがあぐらをかいているので一般的ではなかったといえる。今日のように一般的に正座をするのは元禄、享保ごろからであろう。『正座と日本人 ...
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2019/07/16
(回答) まず農林水産省ホームページの過去の消費者相談事例(平成29年12月)にも甘酒には米麹と酒粕による2種類の作り方があることは書かれていますが、『江戸グルメ誕生』(講談社・2010年)p.202には、一つは“米の飯に米麹を混ぜて発酵” “麹さえあれば家庭でもつくることができ、四季を問いません”とあり、もう一つは...
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2019/02/28
(回答) 【資料1】~【資料3】(『江戸東京学事典』、『東京百年史 第2巻 首都東京の成立(明治前期)』、『鹿鳴館を創った男 お雇い建築家ジョサイア・コンドルの生涯』)より、中国最古の詩集『詩経』のうち“小雅”の一章、“鹿鳴”に由来する。由来となった詩は【資料5】(『漢詩体系 第2巻 詩経 下』)で見ることがで...
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2018/07/21
(回答)現在、東京都中央区にある日本橋が架橋された年は、『江戸の橋』(【資料1】)によれば、公式な記録がないため複数の説があるとしています。代表的なのは慶長8(1603)年説、慶長11(1606)年12月8日以前説、慶長17(1612)年以後説などです。『江戸学事典』(【資料3】)、『中央区史』上巻(【資料4】)は慶長...
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2018/07/21
(回答)現在、東京都中央区に架かっている日本橋は、明治44(1911)年に架け替えられたものです。何代目かについては諸説ありますが、すべての架け替え記録が残っていないため正確な回数は不明です。回答プロセスをご参照ください。(回答プロセス)『東京都江戸東京博物館調査報告書 第16集 』(【資料1】)は【資料2...
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