2021/12/09
『近世質屋史稿』【資料1】には、「江戸では「下タ質」、関東農村部や京都では「送り質」、大坂方面では「又質」など」と呼ばれ「すくなくとも江戸時代中期(1720年ごろ)にはかなり普及していたと思われる」と書かれており、質屋が質物をさらに他の質屋に質入れする下質は、一般的に行われていたことがわかります。
質屋に関する近世の法律については、『日本の質屋 近世・近代の史的研究』【資料2】によると、「近世幕藩体制下の質屋法は、大きく分ければ幕府法と藩法が併存し」そこに一貫性はなく、また各地を「一貫拘束する質屋法令を発布したことはなく」とあり、下質の規制についても、時と場所により取締の状況は異なっていたことを前提に見ていく必要があります。
その上で、『近世質屋史稿』【資料1】には京都町奉行所が出した享保七年の町触が紹介されており、これには「送り質物」禁止の一条が含まれています。(ただし、その後明和七年には一部緩和されている。)
また同書によると「江戸の下質に関する法令はきわめて少なく(中略)江戸では京都のようにあまりやかましくなかったと思われる」と書かれています。
(参考資料)
【資料1】『近世質屋史稿』鈴木亀二/著 行人社 1984年 請求記号:3387/0004/0084 p.71-82
【資料2】『日本の質屋 近世・近代の史的研究』渋谷隆一/他共著 早稲田大学出版部 1982年 請求記号:3387/0012/0082 p.3-4