2019/02/28
(回答)
【資料1】~【資料3】(『江戸東京学事典』、『東京百年史 第2巻 首都東京の成立(明治前期)』、『鹿鳴館を創った男 お雇い建築家ジョサイア・コンドルの生涯』)より、中国最古の詩集『詩経』のうち“小雅”の一章、“鹿鳴”に由来する。由来となった詩は【資料5】(『漢詩体系 第2巻 詩経 下』)で見ることができる。
薩摩出身の官史で漢詩に通じた中井弘が命名。中井は、外務卿 井上馨の妻 武子の前夫であり、【資料4】(『鹿鳴館 擬西洋化の世界』)にその経緯が書かれている。
(参考資料)
【資料1】『江戸東京学事典』小木新造/他編 三省堂 1988年(請求記号:2913/507/88)
【資料2】『東京百年史 第2巻 首都東京の成立(明治前期)』東京百年史編集委員会/編 東京都 1979年(請求記号: C3610/2136/48-2)
【資料3】『鹿鳴館を創った男 お雇い建築家ジョサイア・コンドルの生涯』畠山けんじ/著 河出書房新社 1998年(請求記号:2893/55/98)
【資料4】『鹿鳴館 擬西洋化の世界』富田仁/著 白水社 1988年(請求記号:2106/129/88)
【資料5】『漢詩体系 第2巻 詩経 下』高田真治/著 集英社 1975年(請求記号:0820/ 7 /2)
(関連リンク)
東京都江戸東京博物館 https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/ 常設展示室五階に舞踏会の様子を再現した模型があります。