国立国会図書館運営レファレンス協同データベースで江戸東京博物館図書室が提供した事例が検索できます。
(※「レファレンス」とは利用者が学習・研究・調査等で図書室に情報を求めた場合に、図書室の機能を活用して、参考となる資料をご案内するサービスです。)
2015/06/08
【資料1】『日本国語大辞典』は「『江所(えど)』説あるいは『江の門戸』説が有力である。」としながら、次の諸説を紹介しています。(1)江に臨む所の意から。(2)江の津の意。(3)豊島入江の水門の意。(4)戸は、港、泊の略語。(5)戸は戸口の義。(6)荏(えごま)の多く生えた地であったので、エド(荏土)と言った。また...
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2015/06/08
江戸時代の人の身長は、墓地などから発掘された人骨(おもに大腿骨)の長さから推定されています。推定身長を出すための計算式や、サンプルの採り方などで若干の差はありますが、おおむね“男性155~158cm”“女性143~146cm”の範囲内におさまるようです。 (1)『骨は語る 将軍・大名家の人々(*)』(鈴木尚著 東京大学出版...
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2015/06/08
作者や作品名からではなく、描かれているテーマから作品を探したい場合は、まずはそのテーマに沿った本を見てみると良いでしょう。『両国の花火250周年記念誌花火/下町/隅田川』(C3624/5759/1)、『図説浮世絵に見る江戸の歳時記』(佐藤要人・藤原千恵子,河出書房新社,7218/349/97)の皐月28日の川開きについて、...
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2015/06/08
徳川家が江戸鎮護のために不動尊を五箇所に置いたのがはじめで、庶民の信仰を集めたといいます。五色不動の現在の安置場所は、「目黒不動」が目黒区下目黒3丁目の滝泉(リュウセン)寺、「目白不動」が豊島区高田2丁目の金乗(コンジョウ)院、「目赤不動」が文京区本駒込1丁目の南谷(ナンコク)寺、「目青不動」が世田...
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2015/06/08
手拭は古くは神事などに用いられる上流階級の専用物でしたが、鎌倉時代頃から実用的なものとなりました。江戸時代になると、さらに民間や武士の間で広く使われるようになり、利用法も多方面に及びました。手拭いの寸法は一定せず、古くは三尺、四尺、五尺など(【資料1】『日本史モノ事典』によると、江戸末期にはほ...
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2015/06/08
「べらんめぇ」とは「べらぼうめ」がくずれた言い方で、人を罵るときに使いますが、”べらぼう”は江戸時代に見世物で人気を博した奇人の名前”便乱坊(可坊)”が語源であるといいます(備考※2参照)。 また、『江戸ことば・東京ことば』(教育出版・1980年)によれば、”べらぼう”は穀物を潰す”へら棒”が語源で、「穀潰し(...
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2015/06/08
右手右足、左手左足が同時に出るような動きを「ナンバ」といいます。 「ナンバ」という語源については「骨筋の違うという意から、骨筋の違いをなおす医者が大阪の難波にいたのでそれからきたという説」「南蛮人すなわち外国人の動作からきたのだという説」(『演劇百科大事典4』平凡社7703/1/4)など諸説あり、はっき...
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2015/06/08
かわら版は、江戸時代から明治にかけて出版された庶民向けの情報印刷物です。 「かわら版」という呼称は幕末になってからで、読売や摺物と呼ばれることが多かったようです。幕府の出版統制に反して、時事的な情報を即時に人々に提供したもので、製作者が記載されていない場合が多く、大火、外国船の来航、大地震などの...
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2015/06/08
舟運で使った小舟は、河川の遡航に適した細長い船型の喫水の浅い船で、高瀬舟とよばれています。図録『富士川の舟運 第34回企画展』(富士市立博物館・M54/FU-4/11)には、富士川の舟運についての資料と詳しい解説があります。 同書によると、川をさかのぼるのには、舳先に綱をつないだ舟を川岸を歩く船頭が曳くとい...
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2015/06/08
江戸時代を経て、今日までのこるはきものの中に、「雪駄」があります。雪駄も草履も区別のないもののように考えがちですが、正式には草履の裏底に革をはったかたちのものが雪駄です。 雪の日、水気が湿り通らないように考え出されたといい、ゆえに「雪踏」とも書かれ、雪駄(という語)につながっています。雪の日の茶...
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2015/06/08
人相書の成立年代ははっきりしませんが、実際に整備されたのは寛保2年(1742)に成立した「公事方御定書」によるものとされています。しかし、全ての犯罪に適用された訳ではありませんでした(『徳川幕府事典』竹内誠編,東京堂出版,2105/1142/003より)。人相書とは当該人物の顔つきや身なりを文章で箇条書にしたもの...
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2015/06/08
元和3年(1617)3月15日、家康の霊柩は、久能山から日光山に移されるために出発しました。富士山麓の善徳寺(15日)、三島(16・17日)、小田原(18・19日)、中原(20日)、府中(21-22日)(『東武実録』によると府中に23日まで宿泊)、仙波(23-26日)、忍(27日)、佐野(28日)、鹿沼(29-4月3日)を通り、4月4日に日光...
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2015/06/08
旅行のガイドブックにあたるものとしては、道中記や細見記があります。その形式や内容は、時代、編者によっても異なりますが、宿場間の距離や旅籠賃、人足賃、馬賃、名所や茶店、土産物などが記されています。 また、道中記と並んで紀行文や各地の名所図会も出版されました。有名な弥次喜多道中にも窺えるように、江戸...
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2015/06/08
浮世絵、特に錦絵と呼ばれる多色刷りの木版画は、絵師・彫師・摺師の三者の分業により完成します。摺師が1日に摺る分量を“一杯”と呼び、普通200枚前後とされています。売れ行きがよく、追加注文を受ければ二杯、三杯・・・と版を重ねました。『浮世絵鑑賞事典』(高橋克彦著,講談社, 7218/B332/87)には「十杯(2,000枚)も...
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2015/06/08
蒸籠。読みは「せいろ」、正しくは「せいろう」です。『蕎麦の事典』(新島繁編著・柴田書店・3838/159/99)によれば、蒸籠は「もりせいろ」と「ざるせいろ」に大別され、もりせいろは長方形、ざるせいろは角と丸があり、角は正方形とあります。『蕎麦辞典』(植原路郎著・東京堂出版・ 5963/10/96)には、原型は正方...
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2015/06/08
『徳川十五代将軍総覧』(別冊歴史読本伝記シリーズ5)『徳川15代将軍家と天皇家』(歴史読本1999年6月号)『肖像画をめぐる謎』(世界文化社,2100/626/98)『徳川将軍家展』(東京都江戸東京博物館)等でご覧になれます。 その他、歴史上の人物の肖像画を探す資料としては 『日本肖像大事典』(日本図書センター,2810/...
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2015/06/08
参考資料【資料1】~【資料3】には上り唄下り唄の歌詞あわせて掲載されています。 (回答プロセス) 【資料4】『日本唱歌全集』によると、天保年間にはやった「はねだ節」が元唄であり、やがて「こちゃえ節」となり、明治4年頃に『お江戸日本橋七つ立ち』といわれて流行した、とあります。 (参考資料) 【資料1...
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2015/06/08
『武江年表』は、斎藤月岑により江戸時代(嘉永年間)に著されましたが、大正元年に『増訂武江年表』(国書刊行会)(備考※1)として刊行されるなどを経て、今日では東洋文庫(平凡社)の116・118におさめられていて、手軽にみることができます。 『江戸東京年表』(小学館)は、文字どおり江戸・東京の歴史年表で、1...
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2015/06/08
「一般的な」東京の門松という言い方はできますが、「正しい」という判断は難しいでしょう。 江戸に遡って『守貞謾稿』をみると、武家の屋敷や大店の飾りには竹の添え木はないものが多く、上部を斜め切りにした竹を添え木とした松飾りは、医師などに多い飾り方としています(参考資料【資料1】~【資料3】)。 現在...
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2015/06/08
『堂々日本史10』(KTC中央出版,2100/619/10) 『元禄繚乱展』(NHK,M3624/TO-3/117)図録140pの「吉良邸絵図面写」によると、東西南が長屋で囲まれており、空いていたのは北側ということになります。『図説忠臣蔵』(西山松之助監修,河出書房新社,2105/979 /98)34p「改撰江戸大絵図」(元禄15年版)を見ると吉良邸...
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