2015/06/08
【資料1】『日本国語大辞典』は「『江所(えど)』説あるいは『江の門戸』説が有力である。」としながら、次の諸説を紹介しています。
(1)江に臨む所の意から。(2)江の津の意。(3)豊島入江の水門の意。(4)戸は、港、泊の略語。(5)戸は戸口の義。(6)荏(えごま)の多く生えた地であったので、エド(荏土)と言った。また、もと荏原郡に属したか。荏原も荏の生いしげったさまの意。(7)アイヌ語で濁った沼の意。
【資料2】『江戸東京歴史読本』によると次の諸説を紹介しています。
(1)川の海に臨んだ江の戸(入り口)、あるいは入り江のある所などの意味で、江戸の「門戸」説。(2)土地柄や地勢に関連した古くからの呼称と考えられ、『古今要覧稿』には「江所(江に臨む所)」とあることから「江所」説。(3)江の湊説。(4)荏原の繁茂する「荏土」説。
(5)「余戸」説。(6)アイヌ語説では“etu(宇土・烏頭(うとう)と同じく出っ張ったところ、岬または端の意味)”に由来するとする、アイヌ語説。
諸説どれを取るかは意見が分かれており、【資料3】『東京都の歴史』【資料10】『江戸東京残したい地名』は江戸の門戸説を、【資料4】『江戸東京学事始め』は江に臨む場所という説を、【資料5】『家康はなぜ江戸を選んだか』は江の湊説をそれぞれ検証した上で支持しています。
(参考資料)
【資料1】『日本国語大辞典 第2巻』日本国語大辞典第2版編集委員会,小学館国語辞典編集部/編 小学館 2001年 8131/0045/0002 p.659-600
【資料2】『江戸東京歴史読本』(小森隆吉 弘文堂 1984年 2136/ 517/84 p.10-13)
【資料3】 『東京都の歴史』(児玉幸多・杉山博 山川出版社 1969年 2136/ 258/69 p.77)
【資料4】『江戸東京学事始め』(小木新造 筑摩書房 1991年 2136/1/91 p.26-28)
【資料5】『家康はなぜ江戸を選んだか』(岡野友彦 教育出版 2009年 2136/502/009 p.118-130)
【資料6】『江戸東京地名事典 新装版』(雪華社 1981年 2913/4/81)
【資料7】『地名語源辞典』(校倉書房 1989年 2910/8/1)
【資料8】『広辞苑(第6版)』(岩波書店 2008年 8131/45/0008-S00)
【資料9】『角川日本地名大辞典 13 東京都』(角川書店 1991年 2910/2/14-S00 )
【資料10】『江戸東京残したい地名』(本間信治著 自由国民社 2009年 2913/1136/0009-S00 p.243)
【資料11】『江戸東京学事典』(新装版)(小木新造他編 三省堂 2003年 2913/1043/003 p.13)
【資料12】『国史大辞典』第2巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1986年 2100/352/2-S00 p.307)
【資料13】『新編姓氏家系辞書』(太田亮著 丹羽基二編 秋田書店 1994年 2881/16/94 p.220)
(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000013901