実際の「人相書」には似顔絵は描かれていなかったのか。(2003年)

2015/06/08

 人相書の成立年代ははっきりしませんが、実際に整備されたのは寛保2年(1742)に成立した「公事方御定書」によるものとされています。しかし、全ての犯罪に適用された訳ではありませんでした(『徳川幕府事典』竹内誠編,東京堂出版,2105/1142/003より)。人相書とは当該人物の顔つきや身なりを文章で箇条書にしたものであり、領主が出した人相書に絵で画いたものはない、とあります(「時代劇を読む~人相書から」神崎彰利(雑誌『本郷』第37号p8)より)。なお、人相書が現在の様に面体を描く様になったのは明治期に入ってからとされています。『明治事物起源』によれば明治5年に小菅刑務所における、囚人脱走防止のための写真撮影が始まったと記されており、人相書の面体もこうした中で描かれる様になったのでしょう(前記『徳川幕府事典』より)。 人相書にふれた参考文献として他には、『近世刑事訴訟法の研究』(平松義郎,創文社,3276/1/88)、『江戸時代漫筆 人殺・密通』(石井良助,明石書店,3221/1/4)、『考証「江戸町奉行」の世界』(稲垣史生,新人物往来社,3221/186/87)、『日本史大事典5』(平凡社,2100/L465/5)、『都史紀要 40 続レファレンスの杜 江戸東京歴史問答その二』(東京都公文書館編,東京都公文書館,C36/2136/5-40)などがあります。

 

(参考資料)

「時代劇を読む~人相書から」神崎彰利(雑誌『本郷』第37号p8 2002年)

『江戸の御触書 生類憐みの令から人相書まで』(楠木誠一郎著 グラフ社 2008年 3221/217/0008)

『近世刑事訴訟法の研究』(平松義郎 創文社 1988年 3276/1/88)

『考証「江戸町奉行」の世界』(稲垣史生 新人物往来社 1987年 3221/186/87)

『日本史大事典5』(平凡社 1993年 2100/L465/5)

『江戸時代漫筆 人殺・密通』(石井良助 明石書店 1990年 3221/1/4)

『徳川幕府事典』(竹内誠編 東京堂出版 2003年 2105/1142/003) (p.347)

『都史紀要 40 続レファレンスの杜 江戸東京歴史問答その二』(東京都公文書館編,東京都公文書館,C36/2136/5-40) (p.59-70)

『江戸時代のお触れ』(日本史リブレット 85) 藤井讓治著 山川出版社 2013年 3221/235/0013 (p.31-37)

 

(備考) ※高野長英記念館 http://www.city.oshu.iwate.jp/syuzou01/window open 「収蔵品」に高野長英の人相書写真あり (2014/3/31確認)

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000013884window open