国立国会図書館運営レファレンス協同データベースで江戸東京博物館図書室が提供した事例が検索できます。
(※「レファレンス」とは利用者が学習・研究・調査等で図書室に情報を求めた場合に、図書室の機能を活用して、参考となる資料をご案内するサービスです。)
2015/06/08
【資料1】『東京史跡ガイド 18 荒川区史跡散歩 東京史跡ガイド18』によると、「明治3年4月1日で隅田川貨物取扱所といい、明治34年10月1日隅田川貨物駅と名称を変えている。」場所は現在の南千住4丁目、JR南千住駅の東側。現在も隅田川貨物駅という名称である。 【資料2】『明治前期・昭和前期東京都市地図 1 東京東部...
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2015/06/08
「あった」とは断定できない。大正時代に発行された【資料1】「こしかたばなし(2)」によると、文久年間江戸に暮らした老人から筆者が聴いた懐古談として、二百四十八文で店から褌を買い、汚れたら六十文添えて持っていくと、洗濯済みの代わりの褌を渡してくれる店があったと記している。これを褌の洗濯屋と取るか、褌を...
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2015/06/08
ハチの生前に銅像が建てられるまでに至ったいきさつや、主人亡き後のハチの暮らしぶり、時代背景がよくわかるものに、『東京人 no.269(2009.7)』(都市出版)に掲載されている「秋田犬ハチが忠犬ハチ公になるまで。」、『歴史読本 第32巻第16号(1987.8特別増刊)』がある。 生前のハチを実際目にしている筆者たちが、銅...
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2015/06/08
隅田川は上流を荒川とし、荒川の下流(東京都北区岩淵地点)で隅田川として分かれて、東京のまちの中を蛇行して東京湾に流れます。よって水源は荒川と同じ、起点は岩淵水門とし、長さは約23.5kmです。 (回答プロセス) 「隅田川」の川としての定義は長い間曖昧でした。承和2(835)年にはすでに「住田河」とし...
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2015/06/08
山東京山著「蜘蛛の糸巻」(弘化3年=1846年刊)と宮川政運著「俗事百工起源」(慶応元年=1865年刊)の中に山東京伝が名付けたというエピソードが書かれています。「蜘蛛の糸巻」は『日本随筆大成』第2期 第7巻(吉川弘文館)に、「俗事百工起源」は『未刊随筆百種』第2巻(中央公論社)に活字化され、所...
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2015/06/08
『助六由縁江戸桜』や『籠釣瓶花街酔醒』などに登場する吉原の桜は、実際に江戸時代にもあったのでしょうか? 浮世絵等にも描かれているように、江戸時代、吉原の桜は名物となっていました。しかし、それは移植された桜の木でした。毎年三月一日に仲の町の通りに植え込み(二月下旬頃から根付きのまま移し植えて開花...
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2015/06/08
『番付で読む江戸時代』(林英夫・青木美智男編,柏書房,2003,2105/L1133/003)に、「諸国温泉効能鑑」という番付が載っています(備考※1)。当時の最高位である大関は、東が上州草津ノ湯、西は摂州有馬ノ湯となっています。解説によりますと、「江戸時代の大部分は、療治・休養の場として湯治客を迎える宿であり、歓楽...
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2015/06/08
大岡越前守忠相、吉良上野介義央、などに見られる「○○守」「○○介」のことを「受領名」「官職名」などといいます。もともとは7世紀半ば以降の律令制において成立した国司の職名でしたが、室町時代以降は名前ばかりの官位として、公家や武士の身分、栄誉の表示にすぎなくなり、明治維新まで続きました。江戸時代におい...
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2015/06/08
当館展示室にある日本橋復原模型は、図面から復原したのではなく、文書史料や絵画を参考に設計図を起こしています。復原の調査・設計の経緯は『復原・江戸の町』(波多野純著 筑摩書房 1998 2136/ 597/098)を参照ください(同書に復原図面の一部分掲載)。『模型でみる江戸東京の世界』(東京都江戸東京博物館)に...
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2015/06/08
『舶来事物起原事典』(富田仁・名著普及会・0314/1/89)によれば、パンという言葉はポルトガル語に由来する、すなわちパンが日本に渡来したのはポルトガル船の来航した天文年間(1537~55)とあります。が、ものと人間の文化史80『パン』(安達巌・法政大学出版局・ 3838/104/96)には、パンは西アジアのメソポタミアで...
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2015/06/08
生類憐みの令は、五代将軍徳川綱吉時代に発せられた生類愛護を趣旨とした一連の政策を指しており、「生類憐みの令」という名称の単一の法令が存在していたのではありません。 (回答プロセス) 『江戸時代の古文書を読む元禄時代』(徳川林政史研究所監修,竹内誠他著,東京堂出版,2002,2100/734/002)によれば、その...
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2015/06/08
正月の門松や松飾りは年末年始にかけて飾られ、門松を立てている期間を「松の内」などといいます。門松をとりはずす日は所により違いますが、早いところで1月4日、1月7日や15日に撤することが多いようです。とりはずされた門松は1月7日や小正月(1月14・15日)の行事「どんど」(「とんど」「左義長」「鳥追い」ともい...
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2015/06/08
いわゆる「二重橋」は俗称であり、正式名称は手前の石橋が「正門石橋」、奥の鉄橋が「正門鉄橋」です。「二重橋」という名称については、石橋が二重アーチの橋桁を持つことからと言う説、石橋と鉄橋が外から見ると二重に見えるところから、両橋をあわせて二重橋と称されたという説が有名です。しかし実際は、現在鉄橋(...
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2015/06/08
御三家(尾張・水戸・紀伊)のように独立した大名ではなく、江戸城の田安・一橋・清水門内の屋敷に居住、将軍家内の部屋住の地位にあった、とあります。すなわち、御三卿=田安・一橋・清水家です。田安家は1731年(享保16)に創立、祖は第8代将軍吉宗の二男宗武。一橋家は1740年(元文5)に創立、祖は同...
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2015/06/08
江戸で飲まれていた酒は大部分が上方から輸送された「下り酒」であったようですが、いくつか江戸の酒もありました。 『江戸買物独案内』(花咲一男編,渡辺書店,請求記号:1974,請求記号:6721 / 22 / 74)(備考※1)、『江戸の商標』(花咲一男編著,岩崎美術社, 1987,請求記号:6721 / 25 / 87)、『「お菓子とお酒の大合...
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2015/06/08
古代オリンピック発祥の地、ギリシャのオリンピアから採った火をトーチ・リレーによってオリンピック会場へ運ぶ「聖火リレー」は、カール・ディウムの発案により、1936年ベルリン大会から始められました。 1964年東京大会の聖火は、同年8月21日にオリンピアで採火され、アジア地域12カ国を経て9月7日に沖縄へ到着。...
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2015/06/08
金額に明確な定めはありません。一般的に寺子屋に通う場合は師匠に、入門料である「束脩(そくしゅう)」と授業料である「謝儀」を納めました。江戸と地方では謝礼の傾向が異なりましたが、江戸では銭を納める事が多かったようです。そのほか盆暮などに付け届けが行われていたようですが、もちろんすべての寺子屋に当...
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2015/06/08
かば焼きの語源のひとつにかかわることですが、これは本当で、『図説江戸時代食生活事典』(日本風俗史学会編・雄山閣出版・請求記号: 3838 / 4 / 91)に「古くはウナギを長いまま串に刺して焼いたが、その形がカバ(蒲、ガマともいう)の穂に似ているから蒲焼」という説があるとあります。 『燕石十種』第三巻(岩...
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2015/06/08
江戸時代の流行色のひとつ、江戸紫は歌舞伎の「助六」が締めている鉢巻の色としても有名です。 『江戸学事典』(西山松之助他編,弘文堂,1984,2136/2/84-S0)『江戸ことば百話』(西山松之助編,東京美術, 1989,2105/2/89)『江戸東京学事典』(小木新造他編,三省堂,2003,2913/1043/3)によれば、紫は『万葉集』にも見ら...
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2015/06/08
江戸時代の大名は、いくつかの例外を除き、参勤交代のために江戸と国元を往来しました。『藩史大事典』からも、江戸と国元の両方に菩提寺を構える例が多くみられます。 葬地について『探訪・江戸大名旗本の墓』では、「(大名の)多くは生国や国元の菩提寺に葬られた。しかし、江戸で死去した場合、江戸に寺を求めて菩...
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