江戸紫はなぜ流行したのか。(2006年)

2015/06/08

 江戸時代の流行色のひとつ、江戸紫は歌舞伎の「助六」が締めている鉢巻の色としても有名です。 『江戸学事典』(西山松之助他編,弘文堂,1984,2136/2/84-S0)『江戸ことば百話』(西山松之助編,東京美術, 1989,2105/2/89)『江戸東京学事典』(小木新造他編,三省堂,2003,2913/1043/3)によれば、紫は『万葉集』にも見られますが、その頃は高貴な身分を表す色で、一般庶民にとっては禁色ということです。 その紫が江戸で盛んに染め出されることとなったのは、八代将軍吉宗が浦上弥五左衛門に、『延喜式』に記載されているとおりに古色を染め出すことを命じ、弥五左衛門から命を受けた後藤縫殿助が年々数多く染め出し、それらを収録した『式内染鑑』刊行が契機となったという説があります。 しかし、江戸紫は『延喜式』に記載されている紫染の技法とかなり違うということです。ただ吉宗の奨励による幕府の呉服師後藤家の働きがなければ禁色を一般化することはできなかったのではないかと考えられています。

 

(参考資料)

『日本の傳統色』長崎盛輝著 京都書院 1996年(7573/B6/96) 『大江戸花鳥風月名所めぐり』松田道生著 平凡社 2003年(4621/9/3)

『守貞謾稿第3巻』朝倉治彦・柏川修一編 東京堂出版 1992年(3821/212/3)

『日本人の愛した色』吉岡幸雄著 新潮社 2008年(7573/11/0008)

 

(備考)「亡き許嫁の小袖を抱いてさまよう安倍保名」(歌舞伎美人)  http://www.kabuki-bito.jp/special/secom/06/no1.htmlwindow open  (2015/4/14確認)

 

(類似事例)「歌舞伎の病鉢巻には決まりがあるか。」(江戸東京博物館図書室)  http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000028297window open

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000029105window open