皇居にある二重橋は元々違う名称だった?(2006年)

2015/06/08

(回答)

参考資料【資料1】『江戸城の秘密 歩いてわかる!』、【資料2】『皇城』によると、いわゆる「二重橋」という名称については、現在の正門鉄橋であるかつての西丸下乗橋が二重構造だったことに由来します。【資料3】『東京市史稿 橋梁篇』 第1には「二重橋即西丸下乗橋」と記述があります。詳しくは回答プロセスと参考資料をご参照ください。

(回答プロセス)

参考資料【資料1】、【資料2】によると、かつて西丸下乗橋(現在の正門鉄橋)を架橋する際、濠が深く橋脚を立てるのは不可能であったため、まず中段に橋桁をわたし、それを土台にして橋脚を立てる二重構造であったことから、二重橋と呼ばれるようになりました。手前の正門石橋が二重アーチの橋桁を持つことからと言う説、奥の正門鉄橋と二重に見えるところから両橋をあわせて二重橋と称されたという説は誤りとしています。しかし【資料4】『日本国語大辞典』に書かれているように「一般には、一の橋の皇居正門石橋を含めて呼ばれることが多い」と、通称として親しまれています。

(参考資料)

【資料1】『江戸城の秘密 歩いてわかる!』(原史彦/監修 洋泉社 2015年 請求記号:5218 / 251 / 0015 p.88)
【資料2】『皇城』(中島卯三郎編著 雄山閣 1959年 請求記号:2884 / 3 / 59 p.156)
【資料3】『東京市史稿 橋梁篇』 第1 [江戸開府前~享保18(1733)年](東京市/編纂 東京市 1936年C3610/2136/26-1 p.91)
【資料4】日本国語大辞典 第10巻 な-はわん 第2版(日本国語大辞典第2版編集委員会,小学館国語辞典編集部/編 小学館 2001年 8131/45/10 p.441)
【資料5】『写真でみる幕末・明治』(小沢健志監修 世界文化社 1990年 請求記号:2105 / 10 / 90 p.37) (鉄橋に掛け替えられる前の橋の姿を見ることができます。)
【資料6】『江戸城』(西和夫著 中央公論美術出版 1982年 請求記号:5218 / 57 / 82 )
【資料7】『 東京公園文庫 9 皇居外苑』(前島康彦著 東京都公園協会監修 郷学舎 1981年 請求記号:6290 / 1 / 9)
【資料8】『歩く知る江戸城と大名屋敷 歴史REALブックス』歴史REAL編集部/編 洋泉社 2016年 請求記号:5218 / 256 / 0016 p.32~33
【資料9】『千代田区史跡散歩』(岡部喜丸著 学生社 2002年 請求記号:2913 / 659 / 1 p.71) (「俗にめがね橋ともいった」と書かれています。)

(関連サイト)

宮内庁  http://www.kunaicho.go.jp/window open  (2010/10/24確認)

日比谷図書文化館  https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/hibiya/window open  (2018/4/22確認)

 環境省  https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/1_intro/his_04.htmlwindow open  (2016/10/16確認)

千代田区観光協会 https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/242 (2025/2/25確認)

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000032308window open