2023/09/08た行
東京府から東京市へと名称変更されたのではなく、それぞれ別の目的で設置された行政区画となります。東京府は、旧江戸市街地及びその近郊を管轄していた江戸府の業務を引き継いで、明治元年(1868)7月17日にはじめて設置されました。東京市は、東京府下の市街地を管理するため、明治22年(1889)5月1日に東京府の管轄...
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2017/06/29た行
「俵星玄蕃」は実在の人物ではありません。【資料1】『高札めぐり 両国歴史散歩』によると、忠臣蔵の美談の一編として文化年間(1804~17)のころに講釈師の大玄斎蕃格が創作したとされる人物です。その後、浪曲、講談、芝居等となって親しまれました。昭和39(1964)年には歌手の三波春夫が『元禄名槍譜俵星玄蕃』として玄...
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2015/09/24た行
実際の討ち入りでは火事装束を揃えたのではなく、黒い小袖を身に着けるよう申し合わせ、各自で装備したと思われます。(備考※1,2に堀部安兵衛の着用したとする装束画像あり。) 『仮名手本忠臣蔵』における火事衣裳については、実際に着用した黒い小袖が火事装束に似ていたので舞台用に派手に演出した等、諸説あり...
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2015/06/08た行
全国乾麺協同組合連合会のホームページによると、同連合会では昭和57年(1982)から7月7日七夕を「そうめんの日」と決めているとある。 そうめんは漢字で「素麺」あるいは「索麺」(索餅が原型)と書くが、『年中行事大辞典』には“『年中行事抄』は中国の故事を引きつつ、七夕に索餅を食せば瘧病にかからないと述べる”...
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2015/06/08た行
広重の連作である「名所江戸百景」の中の1点「虎の門あふひ坂」に描かれている滝のことではないかと思われます。 (回答プロセス) この作品は【資料1】『浮世絵大系 17 名所江戸百景 2広重画 』【資料2】『広重名所江戸百景』などに掲載されているものを当図書室にてご覧いただけます。 葵坂(あふひ坂)とは【資料...
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2015/06/08た行
資料により諸説あるようだが、“おまる駕籠・厠駕籠”といったものや、移動中に駕籠から駕籠へ飛び移ったという内容は当館所蔵の資料では確認できなかった。同様に図版も確認できず。 (回答プロセス) 【資料1】『江戸参府旅行日記 東洋文庫303』ケンペル著 斎藤信訳 平凡社 1977年 2910/170/77 (P18) 2・3...
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2015/06/08た行
まず、『日本の食文化大系14そば通』(東京書房社・1985年)p123に年越蕎麦を「節分の夜に食う慣例がある」とあります。これには節分蕎麦という言い方があり、新装版『蕎麦辞典』(東京堂出版・1996年)に「年越しそばといっても差支ない」「大晦日そばの年越しそばと区別すべき」「節分そばを食べる地方は相当に多い...
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2015/06/08た行
【資料1】『東都歳事記 3 東洋文庫221』によると「掃除の終わったあと、主人以下胴あげをする家もあった。」(p.90に胴上げの絵あり。)【資料2】『江戸風俗東都歳事記を読む』によると「掃除がひと通りすむと、主人を始め一同の胴上げがあり、蕎麦や鯨汁がふるまわれたりした。」(p.186に胴上げの絵あり。)【資料3】...
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2015/06/08た行
図柄については美女の生首、花紋など諸説あるが、実際の有無については確証のある文献は当館所蔵図書には見つけられませんでした。 (回答プロセス) 【資料1】『NHK歴史発見 8』によると、元幕臣中根香亭『帰雲子伝』(明治26年)によれば「遠山は二の腕から肩にかけて彫物をしており、その図柄は、髪を振り乱して口...
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2015/06/08た行
山東京山著「蜘蛛の糸巻」(弘化3年=1846年刊)と宮川政運著「俗事百工起源」(慶応元年=1865年刊)の中に山東京伝が名付けたというエピソードが書かれています。「蜘蛛の糸巻」は『日本随筆大成』第2期 第7巻(吉川弘文館)に、「俗事百工起源」は『未刊随筆百種』第2巻(中央公論社)に活字化され、所...
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2015/06/08た行
金額に明確な定めはありません。一般的に寺子屋に通う場合は師匠に、入門料である「束脩(そくしゅう)」と授業料である「謝儀」を納めました。江戸と地方では謝礼の傾向が異なりましたが、江戸では銭を納める事が多かったようです。そのほか盆暮などに付け届けが行われていたようですが、もちろんすべての寺子屋に当...
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2015/06/08た行
都内にある歴史上の人物の銅像については【資料1】『東京江戸案内 巻の4 相撲と銅像編』で調べることができますが、これには家康の銅像が載っていません。この本が書かれた時には都内に家康の銅像は無かったと思われます。社団法人江戸消防記念会(備考※1)から当館に徳川家康像(備考※2)が寄贈されたのは199...
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2015/06/08た行
江戸時代にどのような食べものが渡来したのかを知るために、まず『完本食からみた日本史』(芽ばえ社)の“江戸時代の概観”や、『たべもの日本史総覧』(新人物往来社)の“日本たべもの年表”で調べてみます。 カステラ・ボーロ・金平糖・パンなど菓子類、カボチャ・トウモロコシ・トウガラシ・サツマイモなど野菜(蔬菜...
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2015/06/08た行
手拭は古くは神事などに用いられる上流階級の専用物でしたが、鎌倉時代頃から実用的なものとなりました。江戸時代になると、さらに民間や武士の間で広く使われるようになり、利用法も多方面に及びました。手拭いの寸法は一定せず、古くは三尺、四尺、五尺など(【資料1】『日本史モノ事典』によると、江戸末期にはほ...
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2015/06/08た行
元和3年(1617)3月15日、家康の霊柩は、久能山から日光山に移されるために出発しました。富士山麓の善徳寺(15日)、三島(16・17日)、小田原(18・19日)、中原(20日)、府中(21-22日)(『東武実録』によると府中に23日まで宿泊)、仙波(23-26日)、忍(27日)、佐野(28日)、鹿沼(29-4月3日)を通り、4月4日に日光...
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2015/06/08た行
『徳川十五代将軍総覧』(別冊歴史読本伝記シリーズ5)『徳川15代将軍家と天皇家』(歴史読本1999年6月号)『肖像画をめぐる謎』(世界文化社,2100/626/98)『徳川将軍家展』(東京都江戸東京博物館)等でご覧になれます。 その他、歴史上の人物の肖像画を探す資料としては 『日本肖像大事典』(日本図書センター,2810/...
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2015/06/08た行
中秋とは、陰暦(旧暦)8月15日(十五夜)のことです。 今日私たちが一般に使用しているのは、言うまでもなく太陽暦(新暦)です。これは明治6年の改暦から今日に至っています。3月3日「桃の節供」や5月5日「端午の節供」などのように、「お月見」は太陽暦8月15日に行うというわけにはいきません。それは、陰暦がまさ...
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2015/06/08た行
七夕は五節供のひとつで、五節供は江戸幕府が制定したといいます(『節供の古典-花と生活文化の歴史-』雄山閣出版 1993年 3861/83/93)。 『日本まつりと年中行事事典』(桜楓社 1983年 3861/3/83)をみると、「旧暦7月7日に行われる行事をいう。近年都会では新暦7月7日に行い、また月遅れの8 月7日という地方...
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2015/06/08た行
家康の9男義直(尾張藩祖)は大阪城西丸生まれ、10男頼宣(紀伊藩祖)は伏見城生まれ、11男頼房(水戸藩祖)は伏見城生まれとあります。 (参考資料) 『日本人名大事典』(平凡社) 『国史大辞典』(吉川弘文館) 『徳川御三家展』香川県歴史博物館編 香川県歴史博物館 2000年 M82/KA-6/12-S00 『歴史読本 第54...
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2015/06/08た行
上屋敷は主に藩主とその妻子など用、中屋敷は主に隠居や世継ぎなど用、下屋敷は国元からの荷を揚げるため主に水辺につくられた蔵屋敷とあります。 (参考資料) 『江戸東京学事典』(三省堂 1987年 2136/396/94) 『ピクトリアル江戸 大名と旗本』(学習研究社 1991年 2105 /20/2) 『レファレンスの杜』(東京...
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