『仮名手本忠臣蔵』の赤穂義士たちはなぜ揃いの火事装束を着ているのか。実際はどうだったのか。(2015年)

2015/09/24

 実際の討ち入りでは火事装束を揃えたのではなく、黒い小袖を身に着けるよう申し合わせ、各自で装備したと思われます。(備考※1,2に堀部安兵衛の着用したとする装束画像あり。)

  『仮名手本忠臣蔵』における火事衣裳については、実際に着用した黒い小袖が火事装束に似ていたので舞台用に派手に演出した等、諸説あります。

 

(回答プロセス)

【資料1】『赤穂事件と四十六士』によると、大石内蔵助が黒小袖を着用するよう命じたことは『江赤見聞記』(【資料11】)にある。『寺坂信行筆記』(【資料12】)を読むと、大石父子はともかく「全員が火事装束を着したというのは疑問」とし、水野監物の家臣東条守拙の『赤城士話』(【資料13】)にあるように「黒小袖の上に白布一巾を以って右の袖を包」んだ姿が火事装束に見えたのだろうとしている。
【資料2】『仮名手本忠臣蔵の世界』によると、大石内蔵助は「黒の小袖、股引、脚絆、わらじ」を着用するべきことを伝達している。『仮名手本忠臣蔵』の初演翌年の寛延2(1749)年、歌舞伎化された舞台を描いた浮世絵には、雁木模様(ただし白ではなく朱色)が描かれている、とする。
【資料3】『忠臣蔵』第2巻によると、雁木模様のデザインについて、一般的には人形遣いの吉田文吾(二代目文三郎)の工夫と知られているが、それ以前から既に用いられたのではないかとする。
【資料4】『検証・赤穂事件 2 討入りへ、そして本懐、事件後』によると、「吉田忠左衛門討入り装束の復元」考察とイメージ図あり。夜間行動しても目立たず活動的な衣装となると、火事装束に近くなる、とする。
【資料5】『歴史読本』(2014.1月号)によると、討入の際は、夜目立たないように、黒い小袖を着ろと指示がでていた。黒い小袖に襷をかけると火消装束に若干似ているので、それを芝居化する時に華々しく火消装束にしたのではないかと考察している。
【資料6】『歌舞伎ファッション』によると、実際の討ち入りの際は「黒き小袖」。お馴染みの「雁木模様」は安永・天明期(1772~89年)の勝川春章の浮世絵にようやく登場する、としている。
【資料7】『なるほど!忠臣蔵 イラスト図鑑』に、討入装束のイメージ図あり。黒の小袖の袖に白い晒をつけて合印としたとする。
【資料8】『元禄忠臣蔵データファイル』に、討入装束のイメージ図あり。「全体として火事装束をまねたものであったが、これは番人らに見咎められた際、『火消である』と言い逃れるつもりであったという」、そのほかは「個人個人、思い思いの装束で討ち入ったことが『寺坂信行筆記』などから窺える」としている。
【資料9】『赤穂浪士と吉良邸討入り 人をあるく』大高源五が母親宛てに書いた手紙にある討入時の装束について書いた一文紹介。吉田忠左衛門の討入装束イメージ図あり。
【資料14】『忠臣蔵大全 歴史ものしり事典 実録ドキュメント』では、諸説あるので即断は避けるが、実際はのちに歌舞伎に登場するような派手な討ち入り衣装ではなかったということは一致している、とする。

(参考資料)

 

【資料1】『赤穂事件と四十六士』(敗者の日本史 15) 山本博文著 吉川弘文館 2013年 2101/336/0013 p.151-152

【資料2】『仮名手本忠臣蔵の世界』赤穂市立歴史博物館 2010年 M64/AK-4/30 p.61

【資料3】『忠臣蔵』第2巻 赤穂市総務部市史編さん室編 赤穂市 2011年 C64/2105/2-2-S00 p.1195

【資料4】『検証・赤穂事件 2 討入りへ、そして本懐、事件後』赤穂市立歴史博物館 2002年 M64/AK-4/21-2-S00 p.92-95

【資料5】『歴史読本』2014.1月号 通巻895号 新人物往来社 p.205

【資料6】『歌舞伎ファッション』金森和子文 吉田千秋写真 朝日新聞社 1993年 7746/17/93 p.132

【資料7】『なるほど!忠臣蔵 イラスト図鑑』元禄探検隊編著 PHPエディターズ・グループ 1998年 2105/984/98 p.103

【資料8】『元禄忠臣蔵データファイル』元禄忠臣蔵の会編 新人物往来社 1999年 2105/1018/99 p.119

【資料9】『赤穂浪士と吉良邸討入り 人をあるく』谷口眞子著 吉川弘文館  2013年 2105/1649/0013 p.78-79

【資料10】『忠臣蔵百科』泉秀樹著 講談社 1998年 2105/983/98 p.164

【資料11】『江赤見聞記』(『赤穂義士資料大成』3(補遺) 限定版 赤穂義人纂書 日本シェル出版 1976年 2164/2/3 p.266) (備考※6)

【資料12】『寺坂信行筆記』(『赤穂義士資料大成』2 限定版 赤穂義人纂書 2 鍋田晶山著 日本シェル出版 1975年 2164/2/2 p.244 (備考※7)

【資料13】『赤城士話』(『赤穂義士資料大成』1 限定版 赤穂義人纂書 1 鍋田晶山著 日本シェル出版 1975年 2164/2/1 p.219

 【資料14】『忠臣蔵大全 歴史ものしり事典 実録ドキュメント』勝部真長/監修 主婦と生活社 1998年 2105/1027/98 p.260

 

(備考)

※1 文楽編・仮名手本忠臣蔵(文化デジタルライブラリー)  http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc21/yomoyama/y5/yo3.htmlwindow open  (2015/6/4確認)

※2 堀部安兵衛が使用した装束(赤穂大石神社所蔵)  http://www.ako-ooishijinjya.or.jp/original2.htmlwindow open (2015/12/12確認)

※3 「仮名手本忠臣蔵 十一段目」(葛飾北斎画 安永8年~嘉永2年)(国立国会図書館デジタルコレクション)  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1308964window open  (2015/7/17確認)

※4 「[仮名手]本忠臣蔵両芝居狂言浮絵」(寛延2年)(早稲田大学演劇博物館) http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-big.php?shiryo_no=100-0868window open  (2015/6/7確認)

※5 消防雑学辞典(東京消防庁)  http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_72.htm  (2015/6/4確認)

※6 『赤穂義士事蹟』岡謙蔵編 九春堂 明20年(国立国会図書館デジタルコレクション)  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772492/114window open  (2015/6/11確認)

※7 『赤穂義士史料』上巻 中央義士会 編[他] 雄山閣 昭和6年(国立国会図書館デジタルコレクション)  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1173495/147window open  (2015/6/11確認)

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000141739window open