2015/06/08
資料により諸説あるようだが、“おまる駕籠・厠駕籠”といったものや、移動中に駕籠から駕籠へ飛び移ったという内容は当館所蔵の資料では確認できなかった。同様に図版も確認できず。
(回答プロセス)
【資料1】『江戸参府旅行日記 東洋文庫303』ケンペル著 斎藤信訳 平凡社 1977年 2910/170/77 (P18) 2・3里ごとに路傍に木葉葺の小屋を設け、その近くの目立たない側道の間を垣根で仕切る。 休憩や用便のためにそこへおりる。
【資料2】『江戸の備忘録』磯田道史著 朝日新聞出版 2008年 2100/807/0008 (P49-50) 徳川光友は専用の折りたたみ式トイレを挟み箱にいれ、持ち歩いていた。もえぎ色の幕を張り、そこに入って用をたした後、自身で土をかけて隠した。(出典:『昔噺』)
【資料3】『幕末百話 角川選書 14』篠田鑛造著 小西四郎解説 角川書店 1973年 2105/282/73 (P211) 本陣(宿泊先)での事例。先番が長持に雪隠の抽斗箱を納めたものを持参し、本陣の上雪隠へしかけておく。乾いた砂をそれへ敷き、使用後樽詰にして持ち帰る。
【資料4】『同方會誌 第3巻 復刻版』大久保利謙監修 立体社 1977年 (P10) 幕府艦船 鯉魚門(らいもん)の船上での事例。黒塗の大きなおまるが幾つも積んであり、屏風で囲って用をたした後、直ぐに海へおまるごと捨てた。
【資料5】『加賀百万石と中山道の旅』忠田敏男著 新人物往来社 2007年 2105/1317/007 (P200-201) 現在の洋式トイレの先駆となるような型で、高さ1尺2寸、長さ2尺、幅1尺の腰をかけることができる台形。腰をおろす位置のところに大小の穴が瓢箪型にくりぬかれていた。 この携帯用おまるは大名行列には欠かすことのできない調度品だった。
(レファレンス協同データベース版)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000149766