2015/06/08
全国乾麺協同組合連合会のホームページによると、同連合会では昭和57年(1982)から7月7日七夕を「そうめんの日」と決めているとある。 そうめんは漢字で「素麺」あるいは「索麺」(索餅が原型)と書くが、『年中行事大辞典』には“『年中行事抄』は中国の故事を引きつつ、七夕に索餅を食せば瘧病にかからないと述べる”とある。また同書には『宇多天皇御記』寛平2年(890)2月30日の条に“俗間で行われてきた「七月七日素麪」を宮廷行事に採り入れる旨が記されている”とあり、このことは『大日本史料 第1編之1』をみると確認できる。 古い時代から七夕とそうめんが関係あったことがわかるが、江戸ではどうかと言えば、天保9年(1838)刊『東都歳時記』7月7日の条に“家々冷索麵を饗す”とある。また『江戸川柳飲食事典』には一例として“色紙のついでそうめん買いにやり”の句が収録されていて、すなわち「色紙(短冊)のついでにそうめん」というところから、七夕にそうめんを食べるのは庶民の間にも浸透していたことがうかがえる。
(参考資料)
資料1 全国乾麺協同組合連合会ホームページ http://www.kanmen.com/ (2014/6/15確認)
資料2 『年中行事大辞典』(吉川弘文館・2009年)p441 3861/165/009
資料3 『大日本史料 第1編之1』(東京大学出版会・1968年覆刻)p359 2100/126/1
資料4 『東都歳時記 2』(平凡社東洋文庫・1970年)p152 3861/29/2
資料5 『江戸川柳飲食事典』(東京堂出版・1996年)p43 3838/113/96
資料6 『民俗小事典食』(新谷尚紀,関沢まゆみ編 吉川弘文館 2013年)p.47-48 3838/245/0013
資料7 『幕末単身赴任下級武士の食日記』(生活人新書 165)(青木直己著 日本放送出版協会 2005年)p.177-179 3838/183/005
資料8 『錦絵が語る江戸の食』(松下幸子/著 遊子館 2009年)p.16 3838/215/0009
資料9 『図解江戸の四季と暮らし』(河合敦/監修 学習研究社 2009年)p.96 3821/326/0009
(関連事例)
「七夕の由来について」 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000013858
(備考)
「七夕の素麺」(江戸食文化紀行/歌舞伎座 no.39) http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no39.html (2015/7/3確認)
「四季を巡る江戸庶民の行事と暮らし」(キッコーマン国際食文化研究センター) https://www.kikkoman.co.jp/kiifc/tenji/tenji09/edo_life18.html (最終アクセス日:2022/6/16)
(国立国会図書館デジタルコレクション)本朝食鑑 12巻 [1] 丹岳野必大千里 著 平野氏傳左衛門, 元禄10 [1697] http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2569413/54
(レファレンス協同データベース版)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000154291