江戸時代、節分に年越蕎麦を食べることがあったか?(2012年)

2015/06/08

 まず、『日本の食文化大系14そば通』(東京書房社・1985年)p123に年越蕎麦を「節分の夜に食う慣例がある」とあります。これには節分蕎麦という言い方があり、新装版『蕎麦辞典』(東京堂出版・1996年)に「年越しそばといっても差支ない」「大晦日そばの年越しそばと区別すべき」「節分そばを食べる地方は相当に多い」といったことが書かれ、『蕎麦の事典』(柴田書店・1999年)には「本来はこの節分そばを「年越しそば」といい、「大晦日そば」と区別される」とあります。さて、太陽暦を使っている現代では節分は立春の前日の2月3日(頃)と決まっていますが、江戸時代の暦は太陰太陽暦であり、節分が12月中になることもありました。『蕎麦 江戸の食文化』(岩波書店・2001年)p203に江戸時代は「節分が本当の年越しとの考え方もあったので」とあり、『大坂繁花風土記』(文化11年)からの引用で「十二月三十日 晦日そばとて、皆々そば切く(喰)ろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す」とあります。

 

(参考資料)

『日本の食文化大系14そば通』(東京書房社・1985年)

新装版『蕎麦辞典』(東京堂出版・1996年) 『蕎麦の事典』(柴田書店・1999年)

『蕎麦 江戸の食文化』(岩波書店・2001年)

 

(備考)

※関連リンク (社)日本麺類業団体連合会  https://www.nichimen.or.jp/window open (2013/2/1確認)

「麺類雑学辞典」に年越しそばについて解説あり。

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000127730window open