江戸城の櫓(やぐら)は現在も残っているか。(2013年)

2015/06/08

【資料1】『江戸城 四海をしろしめす天下の府城』ほかによると、富士見櫓、桜田巽櫓、伏見櫓が残っていると書かれている。
詳しくは下部「参考資料」をご参照ください。

 

(参考資料)

  • 【資料1】『江戸城 四海をしろしめす天下の府城』伊藤龍一/他執筆  学研 2000年 5218/198/000  p.147   (富士見三重櫓、桜田巽二重櫓、伏見二重櫓と消失櫓の位置図あり。)
  • 【資料2】『天守再現!これが江戸城だ! 別冊宝島Study 1758』三浦正幸監修 宝島社 2011年 5218/217/0011-S00 p.72-73   (富士見櫓(本丸)、桜田巽櫓(三ノ丸)、伏見櫓(西ノ丸)と消失櫓の位置図あり。)
  • 【資料3】『江戸城を歩く』黒田涼著 祥伝社 2009年 2913/1269/0009 p.183-184,188-190   (「江戸城全体の櫓は二十ほどあったといいますが、そのうち残っているのは三つだけ。」)
  • 【資料4】『皇居 自然・歴史・建築・行事…都心の杜を細見』JTBパブリッシング 2006年 5218/193/0006  p.60   (「現存している三棟の櫓はいずれも関東大震災で破損し、解体修復が行われたもの」)
  • 【資料5】『歴史への招待 1』日本放送出版協会 1979年12月01日 89506185 p.164   (日本放送協会 編『NHK歴史への招待』第23巻 (江戸城総攻め),日本放送出版協会,1989.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13177027 (参照 2025-11-28) p.63「今日残る櫓は富士見櫓(三層)、伏見櫓・辰巳櫓(二層)、それと三基の多門櫓に過ぎない。」)
  • 【資料6】『江戸城天下普請の謎 別冊宝島 2578』菅野俊輔/監修 宝島社 2017年 5218/262/0017  p.34-35   (富士見櫓、桜田巽櫓、伏見櫓の位置図あり。)
  • 【資料7】『図説江戸城の見取り図 失われた「天守閣」から「大奥」の人間模様までが蘇る 青春新書INTELLIGENCE PI-262』中江克己/著  青春出版社 2010年 2105/1526/0010
  • 【資料8】『江戸城 その全容と歴史』西ヶ谷恭弘/著  東京堂出版  2009年  5218/206/0009 p.78、182、198   (三の丸「東南に巽櫓(辰巳櫓)が一基現存」、本丸「今日本丸には富士見櫓と御休息前多門櫓の二基が現存する。」、西の丸「伏見櫓は明暦耐火とその後相次ぐ西の丸火災にも消失を逃れ、明治を迎えたが」関東大震災で大破したのち修復を数度行い「漆喰総塗込めの本来の姿に戻し、今日に至っている。」)
  • 【資料9】『江戸城 図説日本の城と城下町 3』西木浩一,小粥祐子/監修 創元社 2022年 5218/367/0003 p.44-45   (「江戸城内にはかつて19基もの櫓があり、江戸城を守っていました。しかし、現存する櫓は3基のみで、本丸ではこの富士見櫓だけです。」)

 

 (関連リンク)

※宮内庁  http://www.kunaicho.go.jp/ (2025/11/28確認)
(関連事例)
※(都立中央図書館)「江戸城富士見櫓の (1)震災前の図面 (2)震災で倒壊して復旧した後の図面(現在のもの)を見たい。」https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000013292 (2025/11/28確認)

 

(レファレンス協同データベース)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000135481window open