2016/09/23
(回答)
どの店がいつ最初に始めたかは所蔵図書では分かりませんでしたが、顧客サービスと宣伝の意味でも行われたようで、当時の川柳にも詠まれています。特に三井越後屋や大丸などは有名でした。詳しくは下部「回答プロセス」「参考資料」をご参照ください。
(回答プロセス)
【資料1】『川柳江戸名物図絵』によると「ごふくやのはんじやうを知ルにわか雨」等、貸し傘についての川柳は多数残っている。「越後屋以外にも尾張町の各呉服屋も降雨の際には、広告を兼ねて貸傘の制があつた」。その方法は店によって異なるようだが、品物を買った客、顔見知りの顧客だけに限り、傘に店の名と連番を打ち、貸した客の住所姓名を帳面に記す店もあった。
【資料2】『大江戸商売ばなし 庶民の生活と商いの知恵』によると、「ごふくやの傘内心ンはかへさぬ気」と、傘を借りても返却しない者もおり、「古骨にいつも越後が二三本」のように、それを古傘買いに売ってしまう者までいたという。
【資料3】『株式会社三越100年の記録 デパートメントストア宣言から100年 1904-2004』によると、三井越後屋を詠んだと思われる川柳はよく知られる。「越後屋では、にわか雨の折など傘を持ち合わせない顧客に貸傘のサービスを始めたが、これが有名になり、川柳や黄表紙にまで登場するほどになった」。
三井越後屋の貸し傘がいつ始まったのかについては次のような通説がある。元禄6年(1693)、三囲神社での雨乞いの祈祷の際、榎本其角の句(「ゆふだちや田を見めぐりの神ならば」)によって雨が降ったという。その霊験に感じ入った三井越後屋は江戸に進出すると三囲神社に寄進し、貸し傘もそれをきっかけにはじめたといわれる。
【資料4】『誹風柳多留全集』3 28篇-41篇「三囲の雨以後傘をかし初め」という川柳が残っている。
【資料5】『お稲荷様って、神様?仏様? 稲荷・地蔵・観音・不動/江戸東京の信心と神仏』によると、実際に三井家が江戸に進出したのは延宝元年(1673)で雨乞いの句よりも先であり、三囲神社と三井越後屋との関係のはじめを、元禄期頃とすることを明確に示す史料はない。
【資料6】「武州葛飾郡小梅村三囲稲荷の経営と越後屋三井家」によると、両者の関わりが史料上で確認できるのは「享保期に入ってからである」とする。
以上から、三井越後屋の貸し傘の起源が三囲神社の雨乞いにあるとは断定できないが、関わりがあると信じていた江戸の庶民がいたとはいえる。
【資料7】『大丸二百五十年史』によると、大丸印の貸し傘は歌舞伎の『たばこ切佐七』の舞台にも登場し、浮世絵にも描かれている(備考※1)ほか、「寛保3年(1743)の江戸店開設とともに、大きい商標のついた『大丸借傘』をはじめた。これは店の客だけでなく、にわか雨に困る通行人にも喜んで貸した」と書かれている。
(参考資料)
(備考)
※1「たばこ切佐七」(早稲田大学演劇博物館) 早稲田大学文化資源データベース https://archive.waseda.jp/archive/index.html (最終アクセス:2019年6月6日)
※2「越後屋の宣伝にもなった『貸し傘』」(三井広報委員会) http://www.mitsuipr.com/special/100ka/24/index.html (最終アクセス:2016年6月22日)
※3『越後屋覚書』(豊泉益三著 三邑社 1955年)(国立国会図書館デジタルコレクション) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1707636 (最終アクセス:2016年6月22日)
※4 傘に番号が書かれている『東都御厩川岸之図』(歌川国芳/作)(東京国立博物館画像検索) http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0020898 (最終アクセス日:2016年6月27日)
