大岡越前守忠相の官職名「越前守」などにみられる「○○守」という名称はどのようにつけられたのか?(2007年)

2015/06/08

  大岡越前守忠相、吉良上野介義央、などに見られる「○○守」「○○介」のことを「受領名」「官職名」などといいます。もともとは7世紀半ば以降の律令制において成立した国司の職名でしたが、室町時代以降は名前ばかりの官位として、公家や武士の身分、栄誉の表示にすぎなくなり、明治維新まで続きました。江戸時代においては、徳川家康が慶長11年(1606)に武家の官位執奏権を手に入れ、以降は将軍が朝廷に奏請する権利を持ちました(『徳川幕府事典』他より)。
 官職名は領地とは関係のない場合が多く、「近世武家官位の叙任手続きについて」(『日本歴史』第586号)によれば「家の慣例や“好み”により選択して申請し、それを幕府が許可するという仕組み」で、「贈答儀礼として、将軍に官位御礼を行い、朝廷に官金(物)が納められ」ました。
 『近世武家官位の研究』では「幕府より諸大夫を仰せ付けられると、即日に希望の名乗りを「伺書」という形で幕府に差し出し、決定された」例を挙げ、「同姓同名とならないか、老中など然るべき役職にある者の名前に抵触しないかなどを吟味し、支障がなければ当人が伺出た名乗りをそのまま認めたのであろう」としています。伊達家や島津家が代々名乗ることの多い「陸奥」や「薩摩」、また幕府の所在地である「武蔵」などは名乗ることを憚られていたようです。

(参考資料)
『近世武家官位の研究』(橋本政宣著 続群書類従完成会 1999年 3221/201/99)
『徳川幕府事典』(竹内誠編 東京堂出版 1997年 2105/1142/003)
『江戸時代制度の研究』(松平太郎著 新人物往来社 1993年 3221/158/93-S0)
「近世武家官位の叙任手続きについて」(藤田覚著『日本歴史』第586号 1997年3月)
『図説大江戸 知れば知るほど』(小木新造監修 実業之日 社 1996年 2136/538/96)
『国史大辞典』(吉川弘文館 2100/360/5)
『史料が語る江戸期の社会実相100話』日本風俗史学会編 つくばね舎 1998年 2105/1026/98 p.35-38 (「武家の通称官名」)
『日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本』(新人物往来社編 新人物往来社 2009年 3221/222/0009 p.93-98) (「今川義元はなぜ三河守か?武士と官途受領名」)
『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』小谷野敦著 青土社 2011年 2881/37/0011

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000035847window open