2016/05/12
東京都江戸東京博物館の高さは、ホームページおよび当館発行物より62.2m。当館発行の参考資料【資料1】~【資料4】には、江戸城天守との関係に触れる記述はありません。小中学生向けの【資料5】『江戸東京博物館のみどころ案内 防災教育・平和学習・環境教育・伝統文化に役立つ!!』・【資料6】『みてみよう 江戸東京博物館』の表紙・裏表紙に“江戸城にあった天守の高さとほぼ同じ”とあります。
当館を設計した菊竹清訓氏の著書【資料7】『江戸東京博物館』には、江戸城の高さが60mであったということに強く興味をひかれ、博物館の高さを検討する際そのことを念頭に置いた旨が書かれています。【資料8】『東京都江戸東京博物館建設工事基本計画報告書』には、スケール比較として江戸城天守のシルエットが掲載されています。【資料9】『新建築』(第68巻第5号)の菊竹清訓氏のインタビュー記事では、江戸城天守は62mあったといわれているため、これに合わせて博物館の高さを62mにしました。来館者に江戸城の天守の高さを体験してもらう意図であると語っています。
いずれも参考とした天守について詳しい記述はなく、特に1つの時期の天守を模したわけではありません。慶長・元和・寛永期の天守はどれも60m前後であったことから、あくまでモチーフとして捉えています。
(回答プロセス)
江戸城の天守は、1607(慶長12)年に家康、1623(元和9)年に秀忠、1638(寛永15)年に家光と将軍の代替わりごとに築き直され、1657(明暦3)年の大火で消失後は再建されていません。高さについて参考資料【資料10】~【資料15】によると慶長期天守は、天守台が10間。【資料11】『注釈愚子見記』には、石垣の上から22間半とあります。元和期天守については不明とする資料が多いですが、寛永期天守に近いとしている資料もあります。寛永期天守は、天守台が7間、石垣の上から148尺、総高200尺とする資料が多いです。メートルに換算する際、1尺=0.303mは共通ですが、1間=6尺(田舎間・江戸間)で計算している資料と、1間=6尺5寸(京間)とする資料があり、それによって総高も変わってきますが、おおむね60m前後となります。
また、図面から江戸城の大きさを推察する場合、建築に携わった中井家・甲良家のものがありますが、中井家は慶長期と元和期の両方を造営しているため、残る図面がどちらの時期のものか意見が分かれています。当館で開催した特別展図録【資料16】『江戸城展』・【資料17】『徳川の城 天守と御殿』では、現存する図面はいずれも天守建設時どの段階で作成されたものか明らかでなく、必ずしも完成図とは限らないため、天守の大きさを断定することは難しいとしています。
(参考資料)
【資料1】『東京都江戸東京博物館建設基本計画』東京都生活文化局コミュニティ文化部江戸東京博物館建設準備室 1988年
【資料2】『江戸東京博物館建設のあゆみ 建設と開設準備の記録』東京都江戸東京博物館/編 1997年
【資料3】『江戸東京博物館 15年のあゆみ』東京都江戸東京博物館/編 2008年
【資料4】『江戸東京博物館 江戸東京たてもの園 20年のあゆみ』都市出版株式会社/編 東京都歴史文化財団,東京都江戸東京博物館 2014年
【資料5】『江戸東京博物館のみどころ案内 防災教育・平和学習・環境教育・伝統文化に役立つ!!』東京都江戸東京博物館/編 2012年
【資料6】『みてみよう 江戸東京博物館』東京都江戸東京博物館/編 1997年(初版)~
【資料7】『江戸東京博物館』菊竹清訓/著 鹿島出版会 1989年
【資料8】『東京都江戸東京博物館建設工事基本計画報告書』菊竹清訓建築設計事務 1988年
【資料9】『新建築』第68巻第5号 新建築社 1993年
【資料10】『東京市史稿 皇城篇 第1』東京都/編 1911年
【資料11】『注釈愚子見記』平政隆/著 内藤昌/校注 太田博太郎/監修 井上書院 1933年
【資料12】『江戸城 将軍家の生活 中公新書45』村井益男/著 1964年
【資料13】『江戸城 築城と造営の全貌』野中和夫/著 同成社 2015年
【資料14】『江戸城 その歴史と構造』小松和博/著 名著出版 1985年
【資料15】『江戸城 その全容と歴史』西ヶ谷恭弘/著 東京堂出版 2009年
【資料16】『江戸城展』東京都江戸東京博物館/編 2007年
【資料17】『徳川の城 天守と御殿』東京都江戸東京博物館/編 2015年
(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000191305