2008年07月15日(火)〜09月15日(月)
2008年07月15日(火)〜09月15日(月)
史上空前の傑作書が来る
書の世界で古今、書聖として最も尊ばれてきた王羲之(おうぎし)。書を芸術の域に高めた人物として今日までその功績が伝えられてきました。本展では、その最高傑作として世に伝わる「蘭亭序」(らんていじょ)(八柱第三本)を含む国外不出の国宝の書13点と北京故宮博物院収蔵の書跡の名宝、計65点を紹介します。
「蘭亭序」とは、永和9年(353)3月3日、王羲之が会稽(かいけい)(現・浙江省紹興市)の景勝地、蘭亭で名士42人を招いて催した曲水の宴で詠まれた詩編に、みずからがしたためた序文です。今回出品の「蘭亭序」は、唐の太宗皇帝が搨書(とうしょ)の名人馮承素(ふうしょうそ)に書き写させたもので、清時代には乾隆帝も所蔵していた、現存する肉筆本では名品中の名品とされています。
日中平和友好条約が締結されて30年を迎える今年、中国から日本へと伝承された文字文化の神髄に触れる絶好の機会です。
開催期間 | 2008年7月15日(火)~9月15日(月・祝) | ||||||||||||||||
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開催場所 | 江戸東京博物館 1階 展示室 〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1 JR総武線両国駅西口徒歩3分、都営大江戸線両国駅A4出口徒歩1分 都バス: S-1・錦27・両28・門33系統、夢の下町観光路線バス「都営両国駅前」徒歩3分 |
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開館時間 | 午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで) ※入館は閉館の30分前まで |
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休館日 | 毎週月曜日(ただし、7月21日、9月15日は開館)、7月22日(火) | ||||||||||||||||
お問合せ | TEL:03-3626-9974(代表) | ||||||||||||||||
主催 | 財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション | ||||||||||||||||
後援 | 外務省、文化庁、中国大使館、社団法人全日本書道連盟 | ||||||||||||||||
特別協力 | 故宮博物院、東京国立博物館、全日本空輸 | ||||||||||||||||
協力 | 内田洋行、日本通運 | ||||||||||||||||
協賛 | JR東日本、NTTデータ、NTTドコモ、凸版印刷、トヨタ自動車、DOWAホールディングス、藤田観光、森ビル、王子製紙、三井物産 | ||||||||||||||||
観覧料金 |
※( )内は20名以上の団体料金。但し常設展共通券は江戸東京博物館のみで販売いたします。
※次の場合は観覧料が無料です。
※前売券は、7月14日まで販売。7月15日以降会期中は当日料金にて販売。 ※チケット販売所:江戸東京博物館、チケットぴあ、CNプレイガイド、ローソンチケット、イープラス、セブンイレブン、ファミリーマート、サークルK・サンクス、JTB他 |
特別展「北京故宮 書の名宝展」展示資料目録
出品目録をダウンロードする
王羲之(生没年303~361年 異説あり)は東晋の時代に山東省臨沂(りんぎ)の貴族の名家に生まれ、成人して右軍将軍の職責に就いたことから王右軍と称されました。将軍職に就くころになると、硬骨漢としての気質を備え、飾り気のない堂々たる振る舞いが人々の敬愛を集めました。
王羲之は武人の才能に加えて文筆に優れ、楷書、行書、草書の三体を書き分け、歴史上初めて書を芸術の域に高めた人物として「書聖」(しょせい)とあがめられています。同時に王羲之は、東晋の人々の悲願である中原の地を奪還することができず、失意のうちに晩年を迎えるなど波乱の生涯を送り、書の名品と相まって数々の逸話と謎を残しています。
唐の第二代皇帝・太宗皇帝は、王羲之の書を崇拝し、広くその書を収集しました。最後は愛着の想いを断ち切れず、自らの墳墓「昭陵」(しょうりょう)に、集めた書を一緒に埋葬してしまいました。太宗皇帝をはじめ歴代の人物が王羲之の書を愛好した結果、皮肉なことに真跡が現存しておらず、臨書された作品にその筆跡をたどることができます。
宋の時代に「大家」と謳われた四人の作品が今回そろって出品されます。蘇軾は政治的抗争に翻弄され挫折を経験する中で、人間味にあふれた作品を残しました。蘇軾と並び称せられる詩人、黄庭堅は禅を修め、ダイナミックな書の世界を確立しました。王羲之以来の書法を重んじた は品格の高い書を残しています。蔡襄は実直な書法を得意としました。
明末から清時代の初めにかけ、文字間の切れ目なく書き連ねた草書文「連綿草」が誕生しました。激情を噴きだすように筆を走らせた作品群は迫力十分です。その書人に名を連ねる黄道周(こうどうしゅう)、 (げいげんろ)、王鐸(おうたく)は、同じ年に上級官吏に合格した同期生でそれぞれの書の表現を追求しました。
揚州(江蘇省)では塩の専売で富を得た商人が文化を庇護し、多くの文化人が集いました。当時の書風に迎合せず、特異な作風で異彩を放った金農(きんのう)、鄭燮(ていしょう)に代表される書画家八人は「揚州八怪」と通称され、一世を風靡しました。金農は、筆が震えるように書く独特の隷書様式「漆書(しつしょ)」を創作しました。
青銅器や石碑が次々と発見された清時代は、書に新しい表現が生まれました。石碑の書を模範とする碑学派の書論を理想的な形で作品にした趙之謙(ちょうしけん)は、「北魏書」という表現を見出し、近代芸術としての書を開花させました。呉昌碩(ごしょうせき)はさらに時代をさかのぼり石鼓文の要素を取り入れた書風で一家を成し、詩・書・画・篆刻に精通した「四絶」と称賛されています。