2007年12月04日(火)〜2008年01月27日(日)
2007年12月04日(火)〜2008年01月27日(日)
オランダ、フランスから謎の風俗画40点 初の同時里帰り!!
<端午節句> 北斎工房、オランダ国立民族学博物館蔵 (C)National Museum of Ethnology, Leiden
葛飾北斎(1760~1849)は、日本の画家の中で最も早く西洋画法に習熟し、独自の絵画世界を作り上げた江戸の絵師です。しかし北斎の作品に魅了されたのは、日本人ばかりではありませんでした。激しいタッチと強烈な色彩を用いて感情を表出した作品を描いたゴッホは、「大好きな日本版画のコレクションをありったけ壁にピンで留めたい」と語り、その筆頭として北斎の名前をあげるほど、北斎の絵画世界に最も影響を受けた人物のひとりといえるでしょう。ゴッホをはじめ、日本の浮世絵が印象派をはじめとした西洋の近代絵画に大きな影響を及ぼしましたが、これ以前、江戸時代より日本の美術や世相、歴史、社会制度、物産などはヨーロッパで紹介されていました。 最近の研究で文政年間(1818~1830)、長崎の出島に滞在したオランダ商館長たちは、 4年ごとに行われる江戸参府の時に北斎などの絵師に肉筆の風俗画を注文し、次の参府の際に注文した作品を祖国に持ち帰っていたことがわかりました。当時、50歳を過ぎた頃の北斎の関心は、人物や風俗、動植物などを漫然と筆の赴くままに描いたスケッチ集『北斎漫画』を出版するなど絵手本の制作にありました。オランダ商館長の依頼を受け、北斎やその弟子たちが描いた作品も、江戸の人々の暮らしぶりが描かれています。これらの風俗画は、現在、オランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に所蔵されています。 そして、今回、オランダとフランス、2箇所に分蔵されていたこれらの風俗画が初めて同時に里帰りすることになりました。特にオランダ国立民族学博物館に所蔵される<節季の商家>、<端午の節句>、<花見>などはオランダ商館の医官シーボルトが持ち帰ったものとして注目されています。本展では、オランダとフランスに残る北斎の風俗画から、これまで"知らなかった"北斎像を探るとともに、北斎とシーボルトの交流にも着目します。そして江戸で人気を博した「冨嶽三十六景」や『北斎漫画』に代表される、版画や版本、肉筆画、摺物など、初公開を含む北斎の名品を幅広く紹介します。 "知らなかった北斎"と"知っている北斎"―、ふたつの視点から迫る本展覧会で、ヨーロッパをも魅了した江戸の絵師・北斎の芸術をあらためてお楽しみください。
開催期間 | 2007年12月4日(火)~2008年1月27日(日) <前期> :12月4日(火)~12月27日(木) <後期> :1月2日(水)~1月27日(日) ※作品によっては、「前期」、「後期」期間に限定された公開や2週間限定公開、2週間での頁替になるものがございます。 |
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開催場所 | 江戸東京博物館 1階 企画展示室 〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1 JR総武線両国駅西口徒歩3分、都営大江戸線両国駅A4出口徒歩1分 都バス 錦27・両28・門33系統「都営両国駅前」徒歩3分 |
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開館時間 | 午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで) ※入館は閉館の30分前まで 1月2日・3日は午前11時より開館 |
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休館日 | 12月10日、17日、25日及び年末年始12月28日~1月1日 | ||||||||||||||||||||
お問合せ | TEL:03-3626-9974(代表) | ||||||||||||||||||||
主催 | 財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、東京新聞 | ||||||||||||||||||||
後援 | オランダ王国大使館、フランス大使館 | ||||||||||||||||||||
協賛 | 大日本印刷 | ||||||||||||||||||||
学術協力 | |||||||||||||||||||||
協力 | 日本航空 | ||||||||||||||||||||
巡回展 | 名古屋市美術館 : 2008年2月9日(土)~3月23日(日) 山口県立萩美術館・浦上記念館 : 2008年4月5日(土)~5月18日(日) |
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観覧料金 |
※( )内は20名以上の団体料金。
※共通券(当日券)は江戸東京博物館とJR両国駅のみで販売いたします。
※小学生と都内在住・在学の中学生は、常設展観覧料が無料なので、共通券はありません。
※次の場合は本展覧会の観覧料が無料になります。
※チケットぴあ(ファミリーマート、サークルKサンクスでも販売)、イープラス、CNプレイガイド、ローソンチケット、セブンイレブン、 JR東日本の主なみどりの窓口、びゅうプラザほかにて、オンライン販売を含め店頭販売。 |
特別展「北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師-」展示資料目録
出品目録をダウンロードする
オランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に分蔵されている北斎の肉筆風俗画40点が初めて同時に里帰りを果たします。これらの作品は、西洋風の技法や表現を用いて、当時の日常風景や人々の生活をテーマに描かれ、一見、水彩画のようにも見える独特な雰囲気を持っています。これらの北斎の作品は、どのようにして海を渡ったのでしょうか?
鎖国下の江戸時代、唯一、欧米に開かれていた場所が長崎・出島です。島原の乱により、ポルトガル人に代わって、出島に拠点を置き日本との貿易を独占したのがオランダでした。幕府は、オランダ商館を通じて、キリスト禁止令やポルトガル人追放の徹底を図る一方で、海外の情報を集め、オランダ商館は日本の様相を貿易品などともに、祖国に伝えました。
最近の研究では、文政年間(1818~1830)に、4年ごとに義務付けられていた商館長の江戸参府の際、北斎のもとを訪れ、江戸の風景や人々の日常風景などを題材にした浮世絵を注文し、次の参府の際に完成した作品を引き取っていたことがわかりました。
そのひとつが、1817年から1823年にかけて、オランダ商館長を務めたヤン・コック・ブロムホフが発注し、次の参府で商館長を務めたヨハン・ヴィレム・デ・ステュルレルが持ち帰った25点で、これらはデ・ステュルレルが他界した後、フランス国立図書館に寄贈されました。
また、もう1人北斎の浮世絵を持ち帰ったのが、オランダ商館の医師として滞在したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)です。鎖国中の日本からなるべく多くの情報を集めるという目的が課せられたシーボルトは、日用品や工芸品、植物学、地理学など様々な分野から大量のコレクションを収集しました。その中に、オランダの紙に描かれた北斎の作品も含まれていたのです。現在、オランダ国立民族博物館に収蔵されています。
江戸時代の化政文化を代表する浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)。森羅万象何でも描き、3万点を越す作品を発表しました。第2部では、海外及び日本国内から、北斎が手がけた版画、版本、肉筆画などすべての分野の北斎の芸術をご紹介します。
北斎は、立ち止まることを知らない絵師でした。読本や絵手本などの版本から、版画、肉筆画にいたる様々な分野で、日本古来の技法にとどまらず、遠近法や陰影の表し方など西洋風の技法を取り入れ、自己の画風を追い求めました。常に探究心を持ち続け、自己の絵画世界を追求していったその姿こそ、北斎の最大の魅力といえます。
浮世絵の版画は、墨摺絵と呼ばれる白黒のものにはじまり、丹絵、紅絵、漆絵など次第に着色され、多色摺が完成しました。これが錦絵です。北斎の錦絵としての代表作が「冨嶽三十六景」シリーズです。斬新な構図や従来の藍よりも発色性の強いベロリン藍による彩色の美しさで人気が高く、北斎の風景版画家としての顔を確立しました。
名披露目や演劇の案内など、私的な配り物として作られた非売品の木版画をいいます。天明年間(1781~89)に狂歌が一大流行したことに伴い、狂歌師の注文による摺物が増加しました。その多くが私家版のため、高級な紙を使い精緻な技巧が施されています。
版に摺るものではなく、絵師が直接、絹布や、紙などに描くものを肉筆画といいます。版画や版本が浮世絵の主流になった後も、著名な浮世絵師の肉筆画は求められました。晩年、北斎は錦絵を離れ、創作活動の中心は肉筆画の世界へとはいっていきます。作品の内容もそれまでの風俗画から、日本や中国の古典に基づいた宗教画的な作品が増えていきます。
北斎作の<四季耕作図屏風>。この作品は、1942年にデンマークで競売にかけられて以来、その存在が不明でしたが、このほど、65年ぶりに現存することが確認され、本展覧会で一般公開します。もともとの所蔵者は、鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)。屏風絵は六つ折りで、50代前半の頃の制作と指定され、北斎としては珍しい農村風景が肉筆画で描かれています。また北斎の現存する屏風絵も10点ほどしかないと言われており、貴重な発見といえるでしょう。
コンドルは建築家として活躍する一方、絵師の河鍋暁斎に師事し、「暁英」の名で日本画を描いたり、日本の美術品を収集していました。彼の死後、収集品の多くは、デンマークで暮らした娘によって売却。この屏風も売却された作品のひとつとなっています。
手書きによる写本に対して、印刷により制作された図書の総称を「版本」といいます。大きく分けて<読本>と<絵手本>に分けられます。
■読本
絵を主体とした絵草紙に対して、読むことを主体としたものを「読本」といいます。勧善懲悪や因果応報の倫理観に基づき、英雄物語や仇討ち、お家騒動などの題材が多く取り上げられ、人気を博しました。寛政の改革(1787~93)による出版の統制を受けて洒落本や黄表紙がなくなる中、北斎は長編の読本の挿絵を手がけました。読本挿絵の大半は、墨一色もしくは薄墨を施す程度で表現しなければならないという制約があるなか、北斎が手がけたものは 1000を超えています。
■絵手本
絵を学ぶ際に用いる教材を絵手本といいます。元々は、師から弟子へと肉筆画で伝えられていましたが、北斎は、大量に摺り版本として集約し、刊行しました。これが、北斎の代表作として有名な<北斎漫画>です。北斎は、肉筆画で絵手本を渡すには、弟子の数があまりに多過ぎたこと、全国の北斎ファンや私淑者や北斎の図案を求める職人など市場のニーズを意識して制作しました。<北斎漫画>の「漫画」とは、現在、使用されているカリカチュアを意味するものではなく、「北斎が気の向くままに描きまとめたスケッチ画集」を意味します。