2008年02月19日(火)〜04月06日(日)
2008年02月19日(火)〜04月06日(日)
薩摩藩主島津家の一門に生まれ、ペリー来航に揺れる幕末の動乱期、21歳で徳川13代将軍家定に嫁いだ篤姫。夫の急死後、若き14代将軍家茂の養母として、その妻和宮とともに江戸城大奥をとりまとめます。やがて訪れた戊辰戦争時には、江戸城に迫る西郷隆盛ら新政府軍に働きかけ、江戸城の無血開城に大きな役割を果たしました。 この展覧会は、NHK大河ドラマ「篤姫」と連動するもので、篤姫と彼女をとりまく人びとゆかりの品、江戸城大奥の華麗な調度、幕末の騒乱を伝える歴史資料などで構成し、篤姫の波乱に満ちた生涯をたどります。
開催期間 | 2008年2月19日(火)~4月6日(日) | ||||||||||||||||
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開催場所 | 江戸東京博物館 1階 企画展示室 〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1 JR総武線両国駅西口徒歩3分、都営大江戸線両国駅A4出口徒歩1分 都バス 錦27・両28・門33系統「都営両国駅前」徒歩3分 |
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開館時間 | 午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで) ※入館は閉館の30分前まで |
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休館日 | 毎週月曜日 | ||||||||||||||||
お問合せ | TEL:03-3626-9974(代表) | ||||||||||||||||
主催 | 財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、NHK、NHKプロモーション | ||||||||||||||||
協賛 | ハウス食品、日本写真印刷株式会社 | ||||||||||||||||
特別協力 | 財団法人 德川記念財団、尚古集成館 | ||||||||||||||||
観覧料金 |
※( )内は前売および20名以上の団体料金。
※共通券(当日券)は江戸東京博物館とJR両国駅のみで販売いたします。
※次の場合は本展覧会の観覧料が無料になります。
※前売券は2007年12月5日~2008年2月18日に販売。 |
【TOPICS】
展覧会音声ガイドのナレーションが松坂慶子さんに決定!
大河ドラマ「篤姫」で、教育係として篤姫と運命をともにする女性・幾島を演じる松坂慶子さん。大河ドラマでの役柄そのままに、音声ガイドで展覧会の見どころ、篤姫の波乱の生涯を語ってくださいます。
幕末の動乱期、篤姫の無二の戦友として江戸城に仕えた幾島、彼女が命がけで西郷隆盛のもとへ届けた書状とは・・・?!展覧会とドラマ、2つの魅力を楽しめる音声ガイドをぜひ会場でお試しください。
貸出料金 500円(税込)、収録時間 約30分、ガイド点数 約27点
(期間中、展示替えがあるため、ガイド点数が異なる場合がございます。)
特別展「天璋院篤姫」展示資料目録
出品目録をダウンロードする
宮尾登美子さん特別講演中止のお知らせ
当館では、来る平成20年2月23日(土)午後2時より、特別展「天璋院篤姫展」の関連講演会として “「天璋院篤姫」の世界”を開催する予定でした。しかし、まことに残念ながら、大河ドラマ「篤姫」の原作者であり、当日の講師をお願いしておりました宮尾登美子さんが、健康上の理由で講演できない事態となりました。これをうけて、やむを得ずこの講演会を中止させていただくことになりました。すでにご応募いただいております多くの方々には、ご応募いただきましたことに感謝申し上げますとともに、不測の事態とは申しながら、当館の主催事業によりご迷惑をおかけしますことを深くお詫び申し上げます。もとより、すでにご応募いただきましたお客様には、えどはくカルチャー事務局よりお詫び状をお送りする運びとなっておりますが、とりいそぎホームページにてご報告とお詫びを申し上げる次第です。
なお、新たに特別展「天璋院篤姫展」開催記念の特別鼎談を以下の通り予定しております。たくさんのご応募お待ちしております。
東京都江戸東京博物館 えどはくカルチャー事務局
日時 | 2月23日(土) 午後2時~午後3時30分 |
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講師 | 宮尾登美子(作家/大河ドラマ「篤姫」原作者) |
日時 | 3月1日(土) 午後2時~午後3時30分 |
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講師 | 德川恒孝(徳川宗家18代当主) |
日時 | 3月15日(土) 午後2時~午後3時30分 |
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講師 | NHK大河ドラマ「篤姫」時代考証 大石学氏(東京学芸大学教授) NHK大河ドラマ「篤姫」チーフ・プロデューサー佐野元彦氏 東京都江戸東京博物館 館長 竹内誠 |
篤姫(天璋院)は、1835年(天保6)、薩摩藩主島津家の一門・今和泉島津家の娘として産声をあげました。篤姫が生まれ育った薩摩は、島津家が鎌倉時代より領知し、独自の文化を形成してきた西国の大藩です。
18歳まで薩摩で育った女性が御台所になるというのは、歴代御台所の中でも特異なことでした。
徳川家定の二人目の御台所が死去すると、将軍家から島津斉彬に縁組の話が持ち込まれ、篤姫が候補にあがります。西洋のアジア進出に伴う植民地化が危惧される中、琉球を介して外圧に直面していた薩摩では、いち早く西洋の科学技術導入に着手していました。幕閣や近衛家とさまざまな情報交換を行っていた藩主・斉彬は、篤姫婚礼にもこれらの人脈を駆使して奔走します。
篤姫が御台所になるまでの歴史的背景、島津家と徳川家の関係を明らかにしながら、嫁ぐにあたり歌道や香道、茶道などを身につけていく篤姫の姿を探ります。
家定はペリー来航後の外交問題に直面し、条約を締結した西洋諸国に対応を迫られました。その正室として江戸城へ入輿した敬子(篤姫)もまた、大奥の最高実力者として歴史の表舞台に登場します。
将軍御台所としての敬子の素顔に迫るとともに、家定と敬子が暮らした江戸城の表と奥の実態を明らかにします。
婚礼からわずか一年半、家定は死去し、敬子は天璋院と称しました。若き14代将軍家茂の後見役として公武一和の実現に尽力した天璋院は、大奥の柱石としてその存在感を発揮します。家茂は挙国一致して時局にあたるため上洛しますが、天璋院は家茂夫人の和宮と共に、将軍不在の江戸城の留守をあずかりました。
天璋院をめぐる女性たちだけではなく、幕閣・諸大名など表向きのつながりにも注目し、天璋院が果たした役割を検証します。
家茂が大坂で陣没し、徳川家の理解者であった孝明天皇が急死すると、天璋院の実家である島津家と婚家である徳川家の間で生じた亀裂は修復不能の状態となり、世上は一気に倒幕へと傾斜します。天璋院は将軍職を投げ出した15代慶喜に代わって、自ら新政府軍へ徳川家存続の嘆願を行い、 16代家達の家名継承を取り付け、その重責を果たします。
最幕末の情勢を徳川家の視点で検証し、天璋院と彼女を取り巻く人々の動向を明らかにします。
維新後の天璋院は、将軍御台所であった誇りを捨てることなく、家達のほか旧幕臣の精神的後見役として徳川家の行く末を見守ります。幼い家達の養育を第一としてその成長を支え、新しい世の中における徳川家の威信を守りながら、 1883年(明治16)、48歳の生を終えます。
江戸開城後の天璋院の動向をたどり、彼女が生涯を賭けて願った徳川家の発展と、維新後の島津家・近衛家との関わり合いを概観します。
※展覧会では、作品保護のため、会場内の照明を暗くしております。
貝合道具(黒塗桐鳳凰文蒔絵貝桶・合貝) |
霧島栄之尾図 |
薩州桜島真景図 |
藍色切子栓付酒瓶 |
錦手獅子香炉 磯御庭焼 |
黒塗葵牡丹紋散蒔絵櫛台 |
天璋院肖像 |
竹図 |
萌黄地葵唐草筥牡丹文二陪織小袿 |
白綸子地筥牡丹唐草文縁錦茵 |
天璋院葬送図 |