江戸時代の串団子の形態と値段について。(2001年)

2015/06/08

 宝暦・明和(1751-1771)のころには、江戸では、一串5文で、団子の数は5つであったといいますが、明和5年に4文銭が鋳造されると、その影響で一串4文、数は4つになったといいます。

 

(参考資料)

『江戸物価事典』(展望社 1979年)

『東京都公文書館だより 第8号』(東京都公文書館編 東京都公文書館 2006年)

『三田村鳶魚 江戸生活事典』(青蛙房 1959年)

『定本江戸商売図絵』(三谷一馬著 立風書房 1986年) (3843/79/86 p.113に4つ刺し団子の絵あり)

 

(備考)

TOKYO DIGITAL MUSEUM「東都名所 高輪二十六夜待遊興之図」(歌川広重画)に団子屋の屋台が描かれている。  http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0190203021&sr=%8D%82%97%D6window open  (最終アクセス日:2014/6/6)

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000013735window open