2015/06/08
現在「山吹の里」伝説に関する史跡は都内に複数あります。荒川区荒川7-17-2(泊船軒内に史跡)、 豊島区高田1-10-5(山吹の里公園に由来板)、豊島区高田1-18-1(面影橋附近に史跡)、新宿区新宿6-21-11(大聖院内に山吹の里伝説の娘の墓)、新宿区西新宿2-11(新宿中央公園に太田道灌久遠像)など。しかし、実際の場所となると、伝説自体の真偽について議論があるため断定できません。また東京都以外にも「山吹の里」と伝えられる場所があります。(回答プロセス参照)
(回答プロセス)
「山吹の里」伝説とは、鷹狩に出た太田道灌がにわか雨にあい、立ち寄った農家の娘に蓑を乞うたところ、娘は和歌(「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」)とともに山吹の一枝を渡したのみで蓑を貸さなかった。道灌はその意図が分からなかったが、のちに古歌に娘が自分の想いを託したと知り、己の無知を恥じてその後和歌を学び大成したという伝説である。
【資料1】『江戸名所図会』(中)によると、山吹の里は「高田馬場より北の方の民家の辺りをしか唱ふ」と書かれている。
【資料2】『東京都の不思議事典』下巻では、豊島区高田、新宿区西早稲田、荒川区を挙げるとともに、埼玉県越生町、神奈川県横浜の六浦も紹介。
【資料3】『図説太田道灌 江戸東京を切り開いた悲劇の名将』によると、山吹の里伝説が最も早く文献にみられるのは、正徳2(1712)年に成立した寺島吉安編『和漢三才図会』あたりであるとし、「ちょうどその頃成立した太田氏子孫による家譜『太田家記』などにはみることができないから、この話は子孫ではなく、まさに江戸の地域社会のなかで作りだされたものであることがわかる」。史跡の住所と連絡先、最寄駅記載。
【資料4】『東京 雑学事典』によると、山吹の里伝説について「道灌死後250年も経った元文4年、備前岡山の藩士湯浅常山(1708~81)が天文、永禄のころから徳川の始めまでの武将の逸話を記した『常山紀談』に初めて出てくる話である」「どうやら、常山の処世訓と言った物を感じさせて、いささかフィクションを感じさせる」と疑問を呈している。
【資料5】『東京の碑百選』によると、「どこまで信用していいものか分からない」と伝説の信憑性に疑問を呈しながら、面影橋、豊島区の金乗院に碑があること、『江戸名所図会』に太田道灌が「一日戸塚の金川辺に放鷹す」とあることから「金川辺」という場所(鎌倉、または東海道の神奈川宿、または穴八幡近くの蟹川あたり)が山吹の里ではないかとする見方もあることを紹介。
(参考資料)
【資料1】『江戸名所図会』中 斎藤幸雄他著 石川英輔,田中優子監修 評論社 1996年 2913/823/2 (p.614 ※1備考にリンク)
【資料2】『東京都の不思議事典』下巻 樋口州男他編 新人物往来社 1997年 2913/824/2 (p.85)
【資料3】『図説太田道灌 江戸東京を切り開いた悲劇の名将』黒田基樹著 戎光祥出版 2009年 2891/1012/0009 (p.126、154 ※2備考に『和漢三才図会』リンク)
【資料4】『東京 雑学事典』毎日新聞社 1976年 2913/509/76 (p.113 ※3備考に『常山紀談』リンク)
【資料5】『東京の碑百選』野尻泰彦著 伸光社 1992年 2913/1000/92 (p.114)
【資料6】『日本架空伝承人名事典』増補版 大隅和雄他執筆 平凡社 2000年 2810/345/0000 (p.181)
(備考)
荒川区役所(山吹の塚) https://www.city.arakawa.tokyo.jp/a022/shisetsuannai/jinja/arakawa005.html (2022/6/16確認)
豊島区役所(山吹の里公園) http://www.city.toshima.lg.jp/shisetsu/koen/index.html (2014/4/30確認)
新宿中央公園(久遠の像) http://parks.prfj.or.jp/shinjuku/ (2014/7/1確認)
埼玉県越生町(山吹の里歴史公園) http://www.town.ogose.saitama.jp/ (2014/7/23確認)
※1『江戸名所図会』天権之部 巻之四(国立国会図書館デジタルコレクション) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964492/284 (2015/8/5確認)
※2『和漢三才図会』巻六十七(国立国会図書館デジタルコレクション) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898185/149 (2014/7/25確認)
※3『常山紀談』(国立国会図書館デジタルコレクション) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778104/57 (2014/7/25確認)
二十一代集データベース(国文学研究資料館) 元歌となった「ななへ八重 花はさけとも 山ふきの みのひとへたに なきそかなしき」(兼明親王)も検索できる。 http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/G000150121dai (2014/7/1確認)
(関連事例)
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という歌は太田道灌が詠んだものですか。(宮城県図書館) http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000139487 (2014/7/30確認)
(レファレンス協同データベース版)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000152775