2008.04.26(Sat)〜2008.06.22(Sun)
2008.04.26(Sat)〜2008.06.22(Sun)
1858年(安政5)、米艦ポーハタン号上で日米修好通商条約が結ばれ、ここから日本とアメリカは本格的な通商を開始しました。ペリー来航に始まり日米和親条約締結、そして日米修好通商条約に至る一連の推移は近代日本を方向づけた日本史上の大事件と言えるでしょう。 2008年(平成20)は、この日米修好通商条約締結から150年にあたります。本展では、米海軍提督ペリーと初代駐日米国総領事ハリスに焦点を あて、国内外約250点の資料で幕末の対外関係をわかりやすく紹介します。展覧された方に、日本とアメリカの歴史、風土、文化を相互に理解していただけれ ばと考えています。 展示資料は、ペリーとハリスの遺品を中心に、ペリー艦隊の同行画家ハイネが描いた油絵原画、日米和親条約と日米修好通商条約の原本、幕府の贈答品―に至るまで、日本で初めて公開されるものばかりです。 本展は、「日米外交の原点」、「ペリー、ハリスと幕府の攻防」、「幕末日本の情景と美術」などを実感する、またとない展覧会です。
☆「ペリー&ハリス」特別CM☆
劇団「大人計画」の宮崎吐夢さんが”ペリーのお願い”
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開催期間 | 2008年4月26日(土)~6月22日(日) | ||||||||||||||||||||
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開催場所 | 江戸東京博物館 1階 企画展示室 〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1 JR総武線両国駅西口徒歩3分、都営大江戸線両国駅A4出口徒歩1分 都バス: 錦27・両28・門33系統 「都営両国駅前」徒歩3分 |
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開館時間 | 午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで) ※入館は閉館の30分前まで |
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休館日 | 毎週月曜日(ただし、5月5・12・19日は開館)、5月7日(水) | ||||||||||||||||||||
お問合せ | TEL:03-3626-9974(代表) | ||||||||||||||||||||
主催 | 財団法人東京都歴史文化財団、東京都江戸東京博物館、読売新聞社 | ||||||||||||||||||||
後援 | 外務省、文化庁、アメリカ大使館 | ||||||||||||||||||||
協力 | 全日本空輸株式会社、日本貨物航空株式会社 | ||||||||||||||||||||
巡回展 | 名古屋ボストン美術館 2008年(平成20)10月18日(土)~12月21日(日) |
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観覧料金 |
※( )内は20名以上の団体料金。
※共通券は江戸東京博物館のみで販売いたします。
※小学生と都内在住・在学の中学生は、常設展観覧料が無料なので、共通券はありません。
※次の場合は本展覧会の観覧料が無料になります。
※前売券は、3月1日~4月25日に販売。4月26日以降会期中は当日料金にて販売。 |
特別展「ペリー&ハリス~泰平の眠りを覚ました男たち~」展示資料目録
出品目録をダウンロードする
現在放送中のドラマ「篤姫」の時代考証を担当する大石学氏(東京学芸大教授)らが、篤姫にまつわる史実やエピソードを中心に、ペリーとハリスが来航した幕末の時代背景などについて解説します。
講師 | 大石学氏(東京学芸大学教授) |
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日時 | |
会場 | 江戸東京博物館 会議室 |
定員 | 130名 |
受講料 | 無料 |
応募 | 当日特別展の半券を持参の上、先着順 受付は13:00~ |
開催中の特別展「ペリー&ハリス ~泰平の眠りを覚ました男たち~」にちなみ、絵手紙コンテスト 「私の描くペリー」が行われています。同展では、想像で描かれた天狗そっくりなペリーの肖像画 なども展示されており、当時の日本人の不安な心境をうかがい知ることができます。 今回は、現代の日本人がイメージする、ペリーの肖像画をお待ちしております!
応募 | ハガキ大の用紙の表面にペリーの肖像画 裏面に住所、氏名、年齢、電話番号を書き、同展会場内に設置した 特別ポストに投函する。 |
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期間 | 優秀作品は同博物館内で随時展示される。 |
講師 | 井沢元彦氏(作家) |
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日時 | |
会場 | 江戸東京博物館1階ホール |
定員 | 400名 |
受講料 | 無料 |
応募 | 往復葉書による事前申込。 宛先は江戸東京博物館「ペリー&ハリス」記念講演会係 応募多数の場合は抽選。 |
締切 | 4月11日(金)必着 |
19世紀になり捕鯨産業は大いに繁栄し、ニューイングランドの港から多くのアメリカ船が捕鯨に夢を託し、遠洋へ向けて出航していきました。捕鯨業 はニューイングランド地方の経済の基幹をなすまでに発展します。そして1840年代になると、日本近海に鯨を求めてアメリカ船が頻繁に出没し、飲料水や薪 炭を補給する寄港地を求めるようになりました。ペリー来航にはこのような背景がありました。
19世紀前期、ペリー来航以前の捕鯨業を通じた日米の接触を、当時の捕鯨関係資料で紹介します。
1854年(嘉永7)、ペリーの2度目の日本来航により、アメリカと江戸幕府との間に日米和親条約が締結されました。幕末日本の国内では、黒船やペリーの肖像画を描いた瓦版などが印刷され、市井に広がりました。
当時の日本人が持っていた黒船に対する好奇心、黒船に対するイメージを版画や絵巻、肉筆の作品から紹介します。日本を訪れたペリー艦隊の様相を知ってもらうため、海軍のサーベルや海軍の軍帽、ペリー肖像写真を展示します。
<日米和親条約の現存する原本を展示!>
1854 年(嘉永7)に締結された日米和親条約。日本側原本は、幕末期の火災で焼失してしまいましたが、アメリカ側に残る原本が初来日します。
江戸幕府は、ペリー来航以前から海外情報を収集し、アヘン戦争などアジア情勢を見極めた上で、ペリーの武力に対し懸命の交渉を行いました。また、同時に 幕府は軍備の洋式化を急ぎ、ペリーからの贈り物も有効に利用して最新の軍事技術を積極的に取り入れたのでした。外圧の苦悩の中から世界に誇る技術立国の基 礎を築いた日本の力を明らかにします。
初めて異国の地、日本すなわち江戸に足を踏み入れたペリー艦隊。彼らの目には、日本という国はどのように映ったのでしょうか?ペリー艦隊が米国に 持ち帰ったお土産の品々や、ペリーが日本へ贈った品々から、双方の交流の様子を紹介します。日本に対し、いかに文明国として進んでいるかを示す、科学技術 の粋を集めた品々を送った米国。逆に、日本の伝統工芸の粋を集めた工芸品を送った日本。日米双方の贈答品を両国が所蔵するコレクションから展観します。
スミソニアン自然史博物館が所蔵するペリーコレクションの一部が公開されます。
ドイツに生まれたウィリアム・ハイネは、1849年のドレスデン蜂起後にアメリカへ亡命しました。ハイネはペリー艦隊随行の「画家」として、各寄港地で、遠征先の風景をスケッチ画として残しています。
来日したハイネは、異国の地日本に魅せられました。ペリー艦隊が日本への遠征を終えて帰国した後、ハイネの絵は公式報告書であるペリー艦隊日本遠征記の挿絵として掲載されました。また、ハイネの絵は、石版画の画集として出版され人気を博しました。
<ハイネが描いた日本の姿とは・・・。ハイネの油絵が日本初公開>
ハイネは、プロイセンの使節と再来日を果たし、1860年には半年ほどの間江戸に滞在し、そこで日本に関する年代記をはじめ多くの書物や版画類を収集したと言われています。その後、ハイネは何冊か本を出版していますが、そのほとんどは日本に関するものでした。
ハイネは異国の地日本でどのようなものに興味を示したのでしょうか。ここでは、ハイネの目に映った日本の姿を紹介します。ドイツ国立ミュンヘン民族学博物館が所蔵するハイネの原画(油絵)が日本初公開となります。
1854年(嘉永7)、日米和親条約は、英文-蘭文-漢文-和文と何重にも訳されたため、条約は英文と和文で齟齬が生じました。日米のいずれか一 方の判断で領事を置くことができるとした英文の条約(和文では両国双方の必要が生じた場合としている)にもとづき、1856年(安政 3)、タウンセンド・ハリスは初代駐日米国総領事として赴任、通訳のヒュースケンとともに下田に来航しました。
江戸への出府と将軍への謁見を経て開始された条約交渉は、井上清直(いのうえきよなお)と岩瀬忠震(いわせただなり)という2人の幕臣が担当しました。 井上はハリスの下田滞在当初から応接にあたり、ハリスが友と呼ぶほどの信頼関係を築きました。両者の激しい折衝の末、1858年(安政5)6月19日 (1858年7月29日)に日米修好通商条約が締結されました。
またハリスは、ニューヨーク市立大学の創立者でもありました。同大学が所蔵するハリスの書簡やパスポート等の遺品等の関係資料を一堂に展示します。さら に、日米修好通商条約のアメリカ側の原本も初来日します。また、幕府外交官たちの活躍にもふれ、巧みな外交で新たな時代の扉を開いた江戸幕府の内なる力を 明らかにします。なお近年、下田で井上からハリスに贈られた茶道具が米国セイラムのピーボディー・エセックス博物館で発見されました。井上とハリスの交流 の証が、今回初めて里帰りします。
日米修好通商条約の条文には、この条約をアメリカで批准することが決められていました。 1860年(万延1)、幕府使節団は、かつて条約が締結された米艦ポーハタン号に乗って太平洋を渡り、ワシントンの地で条約の批准を行いました。遣米使節 随行員の日記やアメリカから持ち帰った品々を展示し、日本の外交使節の様相を紹介します。なかでも、使節の賄方として参加した飛騨出身の俳人・加藤素毛 は、帰国後各地を巡り、その見聞を語りました。その見聞録や持ち帰った品々から、日本の民間レベルにおける海外情報の伝播と受容の姿を紹介、日本が近代と いう新しい時代に積極的に向き合い順応することができた豊かな土壌を探ります。
※展覧会では、作品保護のため、会場内の照明を暗くしております。
ペリー来航を伝える新聞 |
ハリス肖像画
|
ペリー肖像画 |
日米和親条約英文原本 |
提督ペルリ肖像(「異国落葉籠」より) |
ペリー献上 |
ポーハタン号甲板上での宴会の様子 |
安政四年亜米利加使節 |
加藤素毛肖像写真 |
遣米使節へのホワイトハウスでの |
ペリー横浜上陸の図 |
ハリスに贈られた日本の茶道具 |
第一ホテル両国 DAI-ICHI HOTEL RYOGOKU
第一ホテル両国 1Fレストラン 「アゼリア」にてペリー&ハリス開催記念メニュー登場! 終了しました