国立国会図書館運営レファレンス協同データベースで江戸東京博物館図書室が提供した事例が検索できます。
(※「レファレンス」とは利用者が学習・研究・調査等で図書室に情報を求めた場合に、図書室の機能を活用して、参考となる資料をご案内するサービスです。)
2015/06/08
参考資料【資料1】『浮世絵「名所江戸百景」復刻物語』【資料2】『よみがえる浮世絵 うるわしき大正新版画展』に制作過程の写真があります。 下記webサイトでは動画や画像が見られます。 「浮世絵の作り方」 備考※1 「浮世絵の制作工程」 備考※2 (参考資料) 【資料1】『浮世絵「名所江戸百景」復刻物語』東京伝...
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2015/06/08
東京上野にある西郷隆盛の像は、明治31(1898)年建設。西郷隆盛は高村光雲作、連れている犬は後藤貞行作。建設発起人は鹿児島県出身の樺山資紀など。 設置場所については、議論が重ねられた結果西郷ゆかりの地である上野に落ち着きました。 (回答プロセス) 【資料1】銅像建設発起人の一人である樺山資紀の伝記『父...
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2015/06/08
1960年代、東京や大阪などの都市部では、自動車の排気ガスや工場からの排煙による“スモッグ”、大気汚染の問題が深刻化していました。(参考『東京広報』’68増刊号“特集・都市公害”他) 昭和43(1968)年に発売された≪大東京名物 空気の缶詰≫は、そんな都会の汚れた空気を詰め込んで東京名物とする、シャレを効かせた商品...
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2015/06/08
まず、『日本の食文化大系14そば通』(東京書房社・1985年)p123に年越蕎麦を「節分の夜に食う慣例がある」とあります。これには節分蕎麦という言い方があり、新装版『蕎麦辞典』(東京堂出版・1996年)に「年越しそばといっても差支ない」「大晦日そばの年越しそばと区別すべき」「節分そばを食べる地方は相当に多い...
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2015/06/08
【資料1】『東京市史稿 皇城篇』第1によると「30万6760坪」(※内訳は国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/764117/1/33 参照)。【資料2】『江戸参府紀行(東洋文庫 87)』によると「城内の周囲は一里といわれ」「内郭の周囲は二里、外角の内側は四里といわれる」。【資料3】『図解・江戸城をよむ...
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2015/06/08
記録されたものだけということになりますが、文献の種類、火事の範囲や大きさ等によって90件から2000件まで数えられています。 (回答プロセス) 【資料1】『東京市史稿 変災篇』第4・5巻には天正18(1590)年~明治40(1907)年の江戸東京の火災編年集。【資料2】「江戸災害年表」には『東京市史稿』に基づく災害年表。...
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2015/06/08
【資料1】『東都歳事記 3 東洋文庫221』によると「掃除の終わったあと、主人以下胴あげをする家もあった。」(p.90に胴上げの絵あり。)【資料2】『江戸風俗東都歳事記を読む』によると「掃除がひと通りすむと、主人を始め一同の胴上げがあり、蕎麦や鯨汁がふるまわれたりした。」(p.186に胴上げの絵あり。)【資料3】...
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2015/06/08
【資料1】『図説歴史で読み解く東京の地理』、東京にある富士塚の分布図がある。(【資料4】『東京路上博物誌』の図を元にしている。) 【資料2】『図表でみる江戸・東京の世界』、江戸時代・明治以降に築造された富士塚と壊された富士塚の分布図がある。 【資料3】『江戸東京富士塚めぐり 富士塚のある社寺歴訪』、巻...
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2015/06/08
【資料1】『とっておき江戸おもしろ史談』に「江戸城中の刃傷史」あり。 【資料2】『営中刃傷記』は寛永4(1627)年から文政6(1823)年に起きた柳営中の刃傷始末を年代順に編纂したもの。 【資料3】『近世事件史年表』に「営中刃傷一覧」事件別年表あり。 (参考資料) 【資料1】『とっておき江戸おもしろ史談』稲垣史...
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2015/06/08
実際に測定した数字が出ているものは当館資料では見つけられなかった。 以下、(参考資料)から。 【資料1】『咸臨丸日記』ジョン・マーサー・ブルック/著(『万延元年遣米使節史料集成』第五巻 日米修好通商百年記念行事運営会/編 風間書房 1961年 請求記号:2105 / 490 / 005 p.140)によれば「勝麟太郎は大変小柄...
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2015/06/08
江戸東京博物館の常設展示室に復元模型がある第一国立銀行。 明治5年(1872)、三井組が銀行業務のため、兜町に建てたものだが、その後まもなく、第一国立銀行に譲渡された。 設計施工は二代目清水喜助。 取壊された時期や経緯が記載されているものは少ないが、『日本の美術 第446号(2003.7)』(至文堂)に掲載の特別寄稿 ...
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2015/06/08
いろは47文字の「へ、ら、ひ」が使われず、代わりに「百、千、万」が使われました。のちに「本」が加わりいろは48組となりました。 (回答プロセス) 【資料1】『江戸の火事と火消』によると、語呂の悪い「へ、ら、ひ」の三つを除いてその代わりに「百、千、万、本」を入れて四十八組とした。 【資料2】『江戸三火消図鑑...
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2015/06/08
以下のように諸説あります。【資料1】『日本国語大辞典』第16巻によると、「初めは観客が贔屓の俳優に花(祝儀)を送るために設けられたものであった」「平安時代、相撲節会に出場した力士が左方が葵、右方が夕顔の造花をつけて入場したという故事による」。【資料2】『歌舞伎のことば』によると、「花道は、その起源も...
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2015/06/08
【資料1】『御当代記 将軍綱吉の時代』【資料2】『国史大系』(第42巻)とも伊東淡路守基祐(伊東基祐)と書かれています。 ※インターネットでは「伊藤基久」と書かれているページもあるが出典見つけられず。 「生類憐みの令」については 「生類憐みの令とはどのような法令か。」参照のこと http://crd.ndl.go.jp/refere...
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2015/06/08
【資料1】『別冊太陽 no.8(1974.AUTUMN) 日本のこころ 8 徳川十五代』に写真あり。山﨑記念中野区立歴史民俗資料館(備考※1)がレプリカ所蔵。 (参考資料) 【資料1】『別冊太陽 no.8(1974.AUTUMN) 日本のこころ 8 徳川十五代』平凡社 p.64 (備考) ※1 山﨑記念 中野区立歴史民俗資料館 https://www.city.tokyo...
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2015/06/08
「鯔背」日本橋魚河岸の若い者のまげが魚の鯔の背に似たところからいなせ(鯔背)銀杏、略していなせと呼んだ。その転用。 (参考資料) 【資料1】日本国語大辞典 第2巻 日本大辞典刊行会編 小学館 1987年 8131/1/2-S00 【資料2】江戸語辞典 大久保忠国,木下和子編 東京堂出版 1991年 8183/7/91 【資料3】日本結髪...
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2015/06/08
東北大学付属図書館( http://www.library.tohoku.ac.jp/ )所蔵「算元記」に該当画像あり。東北大学デジタルコレクション( http://www.library.tohoku.ac.jp/collection/rare/collection.php )-和算資料データベース-「算元記」の83コマ目( http://www.i-repository.net/contents/tohoku/wasan/l/k003/04/k0030400...
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2015/06/08
諸説あります。【資料1】『日本風俗史事典』によると、「佃煮」【資料2】『「食」で地域探検 5 肉の郷土料理』によると、「江戸前ずし、ちゃんこなべ」【資料3】『大江戸美味(むま)草紙』によると、「寿司、鰻、そして天ぷらで『江戸前』の三役そろい踏みとなる。」【資料4】『47都道府県・伝統食百科』によると、「すき...
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2015/06/08
図柄については美女の生首、花紋など諸説あるが、実際の有無については確証のある文献は当館所蔵図書には見つけられませんでした。 (回答プロセス) 【資料1】『NHK歴史発見 8』によると、元幕臣中根香亭『帰雲子伝』(明治26年)によれば「遠山は二の腕から肩にかけて彫物をしており、その図柄は、髪を振り乱して口...
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2015/06/08
【資料1】『今とむかし広重名所江戸百景帖 江戸と東京』は大正時代と1990年頃の写真と簡単な地図を対比している。大正の写真は今昔対照江戸百景(国会図書館古典席資料室蔵 風俗絵巻図画刊行会版・広重会 大正8年)に拠っている。現代の写真は、1990~1993頃の暮らしの手帖編集部による。【資料2】『江戸百景今昔 江戸...
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