2012.10.08(Mon)〜2012.12.02(Sun)
2012.10.08(Mon)〜2012.12.02(Sun)
川村清雄《建国》(部分) 昭和4年(1929) 絹本油彩 オルセー美術館蔵
®RMN (Musee d'Orsay)/Jean Schormans/distributed by AMF
近代日本美術の知られざる先駆者・川村清雄(かわむら きよお)〔嘉永5年(1852)~昭和9年(1934)〕 ―近年とみに評価が高まっている幻の洋画家です。旗本の家に生まれ、明治維新からまもない時期に渡欧し本格的に油絵を学んだ最初期の画家でしたが、当時の 洋画壇から離れて独自の画業を貫いたため、長らく忘れられた存在でした。しかし彼が生涯をかけて追究した日本人独自の油絵世界は、今急速に見直されてきて います。 本展は、清雄の最大の庇護者であった勝海舟(かつ かいしゅう)に捧げられた《形見の直垂(ひたたれ)(虫干)》(東京国立博物館蔵)をはじめとする絵画の代表作や初公開作品を含む約100点の絵画が一堂 に会する最大規模の回顧展です。とくに注目されるのは、フランスへ渡った晩年の傑作《建国(けんこく)》(オルセー美術館蔵)が初めて日本に里帰りするこ とです。昭和4年(1929)にパリ・リュクサンブール美術館に納められたこの作品は、《振天府(しんてんふ)》(聖徳記念絵画館蔵)とならび清雄の画業 の集大成となった作品ですが、日仏ともにこれまで展覧会場で公開されることがありませんでした。本展はこの秘蔵の傑作を目にすることができるまたとない機 会です。さらに、清雄が絵画の理想としたヴェネツィア派最後の巨匠ティエポロの名画《聖ガエタヌスに現れる聖家族》(ヴェネツィア・アッカデミア美術館蔵)が、ヴェネツィアから来日します。 また本展では、清雄が守り伝えてきた幕臣川村家資料を中心とした歴史資料約100点を集結し、幕末から明治・大正・昭和へと続く激動の近代を生きた清雄の 人生を、彼を支えた徳川家達(いえさと)や勝海舟など人物交流のエピソードを織り交ぜて立体的に描き出します。美術愛好家のみならず、歴史ファンにも見逃 せない展覧会です。
会期 |
2012年10月8日(月・祝)~12月2日(日) 会期中、展示替えがあります。展示期間は都合により変更になる場合があります。 |
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会場 |
江戸東京博物館 1階展示室 (東京都墨田区横網1-4-1) 電話番号:03-3626-9974(代表) ・JR 総武線 両国駅西口、徒歩3分 「都営両国駅前(江戸東京博物館前)」下車、徒歩3分 |
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開館時間 | 午前9時30分~午後5時30分 (土曜日は午後7時30分まで) *入館は閉館の30分前まで | ||||||||||||||||||||
休館日 | 月曜日(ただし10月8日(月・祝)は開館)、10月9日(火) | ||||||||||||||||||||
主催 | 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、読売新聞社 | ||||||||||||||||||||
後援 | イタリア大使館、フランス大使館、明治美術学会 | ||||||||||||||||||||
協力 | 日本航空 | ||||||||||||||||||||
観覧料 |
※中・高・大学・専門学校生の方は学生証を、65歳以上の方は年齢を証明するもの(健康保険証・運転免許証など)のご提示をお願いいたします。
※( )内は20名以上の団体料金。
※次の場合は観覧料が無料です。
※小学生と都内に在住・在学の中学生は、常設展観覧料が無料のため、共通券はありません。
※前売券は2012年8月8日から10月7日まで販売。10月8日以降は当日料金で販売。
※チケット取扱:江戸東京博物館、チケットぴあ(Pコード:765-321)、ローソンチケット(Lコード:36913)、 セブンイレブン(セブンコード:018-622)、CNプレイガイド、イープラス。手数料がかかる場合がございます。 特別展・常設展共通券の販売は、江戸東京博物館のみ。 |
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静岡会場 会期 2013年2月9日(土)~3月27日(水)(40日間) 会場 静岡県立美術館 〒422-8002 静岡県静岡市駿河区谷田53番2号 TEL 054-263-5755(代表) http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/ |
展示資料目録
・展示リスト(PDF)
川村清雄は、黒船来航前夜にあたる嘉永5年(1852)、旗本川村家の長男として江戸に生まれました。川村家は、将軍のもとで情報収集にあたる御庭番(お にわばん)の家筋の一家でした。祖父修就(ながたか)は、初代新潟奉行や堺奉行・長崎奉行・大坂町奉行などの要職を歴任した有能な幕吏でした。川村家は父 祖の代から文雅の道にたけ、清雄は幼い頃から住吉派などの画を学んで早くも画才を現しました。さらに幕府の洋学研究機関である開成所画学局に入り、西洋画 の手ほどきを受けました。江戸の豊かな芸術的土壌のもとで、洋画家・川村清雄が誕生する素地が醸成されていったのです。本章では、川村家の伝来資料を中心 に、清雄の生い立ちと人間形成の基盤に焦点をあてます。
慶応4年(1868)明治維新によって、当時17歳の清雄は徳川宗家の幼い新当主家達の奥詰となり、江戸を離れ静岡へ移住しました。明治4年 (1871)、清雄は徳川家派遣留学生としてアメリカへ旅立ちました。そして現地で画才を見出だされ、本格的な絵画修業をすることを決心します。その後の 清雄は、パリ、ヴェネツィアへと移って都合11年間にわたりアカデミズムの油彩画を徹底的に学びました。当時の西欧は美術や工芸の日本趣味が流行してお り、ヴェネツィアの友人たちは清雄に日本人が持ってきた美の感性を大切にするよう教えました。明治14年(1881)本国から帰国命令が出された清雄は、 ヴェネツィアを去る前に友人の画家から手紙を受け取りました。そこには「あなたがたの持っている日本の趣味を失わないように」と書かれていました。この言 葉を胸に、清雄は故国へ向かったのでした。本章では、明治維新の激動から清雄の留学までの足跡をたどり、清雄の芸術の原点となった絵画修業の過程と若き群 像の姿を描きます。
日本に帰国した清雄は、大蔵省印刷局の技手としてただちに迎えられ、美術研究と若手職工の指導にあたります。ところが局内の紛争により、わずか1年足らず で印刷局を解雇されてしまいました。職を失った清雄に救いの手を差し伸べたのは、勝海舟でした。海舟は、清雄のために自身の邸内に画室を建ててやりまし た。この画室で清雄は、徳川家とゆかりの人々の肖像を迫真力のある油絵で描き、さらに海舟の仲介で海軍省から作画を依嘱され優れた作品を作り上げました。 明治32年(1899)1月、海舟は世を去ります。清雄は海舟の葬送に、白直垂を着して棺側に従いました。それから間もなく、清雄はその白直垂をモチーフ にし、海舟への感謝と鎮魂の思いをこめた《形見の直垂》を描き上げました。本章では、清雄の最大の恩人である勝海舟との交流を描き、清雄の前半期における 作品を紹介します。
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カンバス、油彩
119.8 × 61.4 cm 東京都江戸東京博物館蔵
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第十三代将軍徳川家定(いえさだ)の正室・篤姫(あつひめ)の肖像。明治維新後の天璋院は東京に留まり、幼い当主家達を後見し徳川家を支えた。本作品は、明治16年(1883)に死去した天璋院の遺影として制作され、彼女の一周忌に完成した。
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江戸城の石垣を背に立つ勝海舟の背後で、怒りの形相を帯びた旧幕府軍将官が斬りかかろうとする場面を描く。江戸開城の交渉に奔走した頃、海舟は数度命を狙われたという。本作品の画料は、海舟が自邸内に与えた清雄の画室の建築費にあてられた。
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新帰朝者として故国に迎えられた清雄は、日本洋画界の振興のため明治美術会の設立に加わり、画塾で後進を育てました。清雄の作品の特徴は、江戸人の持つ 伝統的な美意識を西洋起源の洋画世界に溶け込ませた、和魂洋才ともいえる画風にあります。背景に金銀箔を用いたり、絹本や紙本、漆塗板や木地をあらわした 古代杉の板など、日本の伝統的な素材を利用しました。そこから生まれる作品は、洋画の技法に日本画の感覚を融合させた、独特で気品あふれるものでした。し かし西洋の油彩画を受容し消化する途上にあって揺れ動く明治の洋画界は、日本的な洋画世界の構築を目指す清雄流の挑戦を理解しませんでした。清雄はやがて 画壇から遠ざかり、忘れられた存在となっていきます。しかし、旧幕府関係者や江戸の遺風を慕う文化人が清雄の絵と人物を愛し、そのネットワークに支えられ て、清雄は江戸趣味の香り高い独自の芸術世界を築いていきました。本章では、清雄をとりまく人間模様を描きながら、多様な作品を通して油絵の可能性に果敢 に挑戦する清雄の芸術の魅力を紹介します。
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平安朝の御所車と従者、それを見送 る子守を描いた雅な作品。日本的な画題を西欧の油彩画法で描く。清雄はパリ留学時に晩年のコローを訪ねたという。滴るような緑と水の表現は、コローに感化 されたものかもしれない。なおこの作品を制作中に、日本画家の橋本(はしもと)雅邦(がほう)と知己を得、日本美術院の画家たちとも交友することとなった。 |
岩に砕ける勇壮な波濤の図を清雄はたびたび描いてお り、本作はその代表的な作品である。多種多様な画法を駆使して波と岩の表情を描き出しており、清雄の練達の技をうかがうことができる。江戸幕府の学問所の 流れを汲む静岡県立葵文庫(現静岡県立中央図書館)に掲示されていた。
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川村清雄《梅と椿の静物》
大正~昭和初期 絹本油彩
123.0×44.0cm 三重県立美術館蔵 |
川村清雄《お供え》 |
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花器に見立てた古い釣瓶に梅、桜、桃を投げ入れ、椿を添える。「芳春四妍」と題され、昭和2年(1927)の全作品展に出品されたと思われる作品。春を代表する4つの花が妍(けん)を競い合う、迎春の華やかな作品。
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清雄は有識故事に通じるだけでなく、敬神尊仏の人で あり、歳時の催しも欠かさず行った。そのことは作品制作にも反映し、絵は季節の贈答品として近しい者へ贈られ、和歌が添えられることもあった。清雄は、絵 を描くにはまず和歌の道より入るべしとし、風流心が必要と述べていた。 |
世に忘れられつつあった清雄でしたが、そんな折、聖徳記念絵画館建設の議がおこりました。明治天皇の生涯を80枚の大きな壁画で表すという壮大な事業で す。壁画の制作者の選定にあたり、明治神宮奉賛会会長徳川家達は、真っ先に自身が奉納する壁画の作者として清雄を指名しました。清雄が家達から与えられた 画題は、皇居内の庫「振天府」を描くというものです。この困難な画題に、清雄は独自の構想を練り作画に着手しました。《振天府》の制作中に開かれた清雄の 作品展に、フランスの仏教学者シルヴァン・レヴィが観覧に訪れました。レヴィは作品に感激し、清雄の絵をパリの美術館に収めたいと望みました。清雄はこれ に応えて日本神話を題材にした《建国》を描き、昭和4年(1929)清雄の絵がついに海を越えたのです。《振天府》は、昭和6年(1931)に完成、絵画 館に奉納されました。その後も清雄は休むことなく作画を続けましたが、奈良で作品制作の途上病に倒れ、昭和9年(1934)83歳の生涯を閉じました。本 章では、晩年の大作である《建国》と《振天府》の制作過程を中心に描き、清雄の芸術の集大成を紹介します。
川村清雄肖像
昭和4年(1929) 喜寿 写真
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川村清雄 《建国》
川村清雄の晩年の代表作で、本邦初公開。パリの美術 館に納めるべく、清雄は「日本」を象徴する絵を描いた。すなわち鶏に神器、桜などを配し、天岩戸(あまのいわと)に隠れた天照大神(あまてらすおおみか み)とその夜明けを暗示する。日本の建国神話を金地に油彩で描く。これこそ生涯をかけて、日本人ならではの油彩画をめざした清雄の到達点であった。
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清雄は歴史画を描く際には、徹底した時代考証を行った。日清戦争の記念庫であるこの建物を描くにあたっても、清雄は調査、研究を尽くし、多数の下絵を残し ている。本下絵は、その最終段階のもので、制作開始から完成まで実に7年を要した。最晩年の清雄が老体に鞭打って取り組んだ渾身の作である。
※展示期間の記載のないものは、全期間展示です。 |
■概要
A4判変形。全235ページ。ハードカバー。栞付。 カラー図版160ページ。特別寄稿、論考5本、川村家関係系図、関連年表、読書案内、文書釈文、出品リストを掲載。1冊2300円(税込)。
■郵送販売(12月2日(日)まで)
遠方のため来館が困難、事前に図録を見てから来館したいといったご希望に応えて、 「川村清雄展」では、図録の郵送販売も行っています。
●現金書留で、図録の代金(1冊につき2,300円(税込)、
※送料は着払い)と、「図録の送付先住所・お名前・電話番号・希望冊数」を書いたメモを入れ
〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1 江戸東京博物館 「川村清雄展図録」係
まで、12月2日(日)必着で 郵送してください。
※送料着払いの“ゆうパック”で、当館からお送りいたします。
●お問合先 江戸東京博物館:03-3626-9974(代)
■えどはくカルチャー
終了しました。
■プレスリリース、写真のご用命は 「川村清雄展」広報事務局 までお願いいたします。
電話: 03-5642-3765