2018.04.01(Sun)〜2018.05.13(Sun)
2018.04.01(Sun)〜2018.05.13(Sun)
「大江戸」という名が史料に現れるのは18世紀中頃、推定人口100万人を超えたあたりからです。この頃の江戸は、上方を凌駕する経済力を持ち、独自の文化を成熟させていました。政治の中心のみならず、物資や金、情報までもが江戸に一極集中し、巨大都市になりました。
江戸繁栄の歴史は、1590年(天正18年)徳川家康の入封時に遡ります。それ以前は、南関東の要衝として、また整備された水陸交通の結節地点として機能する一城下町でした。
この小さな城下町「江戸」は、いかにして、政治・経済・文化の中心都市「大江戸」へと発展していったのでしょうか。本企画展では、「江戸の成り立ち」「江戸城の絵図」「火事と江戸」「水辺の風景」「写された風景」の5つの視点から、巨大都市「大江戸」の繁栄の歴史を追い、大都市としての特性を見つめるきっかけとします。
なお、本展は4月29日(日)から放送が予定されている、NHKスペシャル シリーズ 大江戸(全3回)の関連展覧会になります。
会期 |
2018年4月1日(日)~5月13日(日) |
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会場 |
東京都江戸東京博物館 常設展示室内 5F企画展示室
・JR 総武線 両国駅西口、徒歩3分 |
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開館時間 |
午前9時30分~午後5時30分 ※入館は閉館の30分前まで |
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休館日 | 4月9日、16日、23日、5月7日(いずれも月曜日) | ||||||||||
主催 | 東京都、東京都江戸東京博物館、NHK | ||||||||||
観覧料金 | 常設展観覧料でご覧になれます。
*( )内は20人以上の団体料金。消費税込。
*中・高・大学・専門学校生の方は学生証を、65歳以上の方は年齢を証明するもの(健康保険証・運転免許証など)のご提示をお願いいたします
*次の場合は常設展観覧料が無料です。身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方と、その付き添いの方(2名まで)。入館の際は各種手帳等のご提示をお願いします。
*毎月第3水曜日(シルバーデー)は、65歳以上の方は常設展観覧料が無料です。年齢を証明できるものをお持ちください。保護者が都内在住者であることを証明できるものをお持ちください。
*家族ふれあいの日に観覧の、18歳未満の子を同伴する保護者(都内在住)2名の料金が半額となります。保護者が都内在住者であることを証明できるものをお持ちください。
*4月1日(日)は常設展示室の観覧料が無料になります。
展示資料目録 |
武蔵野は万葉集の古くから歌枕になっており、その地になびくススキの風景は、幻想的な雰囲気をもたらします。そのような場所が武蔵野とイメージされていました。
その武蔵野台地の東端に江戸は位置します。江戸が華やかな都市となる以前の様相は、具体的にはよくわからないことが多く江戸時代に空想されたかつての江戸の地は、このようなイメージがふさわしかったのでしょう。
都に平清盛が活躍する頃、秩父平氏一族である江戸氏が拠点を江戸に構えました。江戸氏は鎌倉時代に御家人となり、室町時代にいたるまで勢力を誇りました。その後、1457年(長禄元年)に扇谷上杉家の太田道灌が江戸城を築きました。時代は戦国時代の初頭であり、関東平野南西部の拠点として城は築かれたのです。1524年(大永四年)、江戸城は小田原を本拠とする北条氏綱に奪われます。江戸は戦国時代前半に扇谷上杉家、後半は小田原北条家の重要拠点でした。ススキがなびくイメージとは異なり、江戸は多くの人が活発に活動する地になっていきました。
1590年(天正18年)、小田原合戦が起こり、豊臣秀吉は大軍をもって北条領国を攻めました。この時、江戸城も開城。その後、徳川家康が江戸に移封されました。
〈主な展示資料〉
琵琶 銘 千鳥 |
日本列島の中で東国は、さほど石垣を用いない城館が多くありました。家康が入城した頃の江戸城はいわゆる土の城であったと思われます。江戸城が本格的な石垣の城となるのは、その後の時代。豊臣大名徳川家の城から徳川将軍家の城に変わってからです。その間、およそ16年の歳月があります。徳川家康が江戸城主であったのは、この時期にあたります。
1603年(慶長8年)、徳川家康は征夷大将軍となります。2年後、嫡子秀忠が将軍職を継承します。家康は大御所となって駿府城を拠点とするようになり、江戸は将軍秀忠の居所となりました。1606年(慶長11年)、本丸に高石垣が築かれたのを皮切りに、江戸城が近世の城へと整えられていきます。
それにともない、城下町も拡大していきます。寛永年間頃には家康の時代の江戸城や城下は、もはやその面影をとどめないほどになっていました。
〈主な展示資料〉
江戸始図 |
「火事と喧嘩は江戸の花」とうたわれたほどに、江戸の町はたびたび火災に見舞われました。とりわけ明暦の大火、明和の大火、文化の大火は大きな災害をもたらしました。しかしながら、火災後、江戸の町は復興を遂げ、大都市としての繁栄を維持し続けました。そして度重なる災害の経験から防災に関する知識も蓄積されていきました。
都市の画期ともなった火災ですが、その様子は絵巻物などの絵画に描かれ、多くの古文書などに記録されました。これらの作品は惨状を今にとどめる都市の記憶でもあります。
〈主な展示資料〉
火事図巻 (江戸東京博物館蔵) |
江戸の繁栄を表わす場所の多くは水辺に形成されています。江戸橋広小路や両国広小路などはその良い例で、ちょうど水陸交通の結節点にもあたっています。夏場の両国界隈は納涼で賑わい、花火は江戸の夏を代表する風物詩でした。また、品川などは、江戸を出て最初の宿場として栄え、江戸の玄関としての役割も担っていました。
こうした水辺の場所からは名所が誕生し、錦絵の題材や名所図会などの挿絵に多く取り入れられ、絵になる場所としても広く認識されていました。錦絵や名所図会は、江戸の経済や娯楽、人々の活気溢れる日常を生き生きと伝えています。
〈主な展示資料〉
東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図 |
江戸時代、世界的にも有数の都市として発展した江戸は、明治維新を迎えると近代都市としてその様相を大きく変えていきます。大名屋敷が林立する空間に洋館をともなう屋敷が建てられるのはまさに象徴的といえます。その後も残された江戸の雰囲気は、関東大震災や空襲が消し去っていくことになります。
一方、幕末にもたらされた写真の技術は、江戸城や増上寺徳川家霊廟などの、さらには都市江戸の様相を今に伝えています。文化財を後の時代に伝えるため、あるいは海外向けのお土産用など、撮影の目的は異なるものでしたが、現代において失われた江戸の姿を知る重要な手がかりを与えてくれます。
〈主な展示資料〉
国指定重要文化財 (きゅうえどじょうしゃしん) ガラス原板 |
最後の将軍徳川慶喜は、将軍として江戸城に入ることはありませんでした。将軍に就任したのは1866年(慶応2年)。政治的混乱が続く、上方で事態に対処していました。その慶喜が大政奉還を行うのが翌1867年です。在職はわずか10か月。その間の活動はすべて上方でした。
鳥羽伏見の戦いで破れた慶喜は、大坂を脱出し、江戸に戻ります。しかし慶喜はもはや江戸城にとどまることもできませんでした。時代は明治へと遷り変わっていきます。
〈主な展示資料〉
黒塗銀立涌葵紋散蒔絵陣笠 |
NHKスペシャル シリーズ 大江戸 |
150年前に消えた 史上最大のロスト・シティー
いま その真実の姿がよみがえる
第1集 世界最大!! サムライが築いた“水の都”(4月29日午後9:00~9:55(総合テレビ))
第2集 驚異の成長!! あきんどが花開かせた“商都”(5月27日午後9:00~9:49(総合テレビ))
第3集 不屈の復興!! 町人が闘った“大火の都”(7月1日午後9:00~9:49(総合テレビ))
*放送日・タイトルは変更される可能性があります。
展覧会に関連した講座を開催いたします。
展覧会の理解をより深められる内容となっています。ぜひご参加ください。
企画展 NHKスペシャル関連企画「大江戸」展 関連講座
慶長期の江戸城 ~「江戸始図」再考~
講師:齋藤 慎一(学芸員) |
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日時 | 4月24日(火) 午後2時~午後3時30分 |
定員 | 200名 |
受講料 | 1,000円(800円) |
会場 | 墨田区みどりコミュニティセンター |
申込締切 | 4月6日(金) |
往復はがきによる事前申込制となります。応募方法の詳細は当館ホームページおよび館内配布のチラシ等でご確認ください。
詳細は こちら